というわけでIT革命というのは
今後社会のあり方をどう変えていって
しまうのだろう、という話が激論に
至ったのであります。
ケンケンガクガクの激論の中、気の弱い僕は
黙って聞き耳を立てていたのですが
以下要約。
(1)中間管理職の駆逐
かつての産業革命とさえ比べられるIT革命。
アメリカでは仕事の進め方が大きく
変わってしまい、約400万人の中間管理職が
不要になってしまったそうです。
現場と本社とのパイプ役を果たしていた
中間管理職。
それは社内メールやイントラネットによって
社員全員が情報を共有できるようになる事で
不要なポストになってしまいました。
今後日本でもそういった動きが加速していくことが
考えられます。
(2)デフレ圧力
かつての蒸気機関や紡績機械による産業革命に
おいても、世界的デフレが起こったのだそうです。
それまで馬で輸送していたのが蒸気機関車に
変わり、物流コストが劇的に下がることで
デフレ圧力がかかったのでしょう。
さらに、馬、に代表されていた人達は職をなくし
そんな機械なら壊してしまえ、という事で
ラダイト運動という現象が起きています。
機械打ちこわし運動です。
かつての産業革命においても
始めはそれまで行っていた事を
蒸気機関や機械に置き換えていくだけで
雇用を生み出すような
思いもしない新産業というものは
中々起こらなかったそうです。
IT革命も現在のところ
今まで雑誌や新聞、ミニコミ誌が持っていた役割を
代替しているだけで、思ってもみない新産業と
いうものは出てきていないように思われます。
むしろ、遅かれ早かれ情報はネット上に無料で流れて
くる、という事になると、これもデフレ圧力で
レンタルビデオ店、地図屋、新聞代理店、音楽ソフト会社、映画ソフト会社……等
課金システムの変更を迫られている業種は多数です。
IT革命におけるラダイト運動が
出てきていない事がまだしも救いです。
(3)人々の心理の変化、情報の民主化
かつての産業革命においては
蒸気機関車がそれまでの人々の心理的な
地理的概念を変えてしまったとの事です。
フランスを一つの国、一つの文化にしたのは
蒸気機関車で、それまでは政治的に統一されては
いても自己完結した地域の集合体だったのだそうです。
テクノロジーやインフラの発達は人々の
意識を変えてしまうことがあります。
飛行機に一度でも乗ってみると
雲の上に天使達が住んでいる、とか
雲の上には雷様がいる、と言われても
イメージできなくなります。
IT革命においても次第に人々の意識に
変化が起きているように思います。
ネット上への発信の自由、検索エンジンによる
ボーダレス情報の取得は、次第にマスコミの
権威を弱めてきているように思います。
かつてマスコミは、司法、立法、行政に次ぐ
第四の権力と呼ばれていました。
TVや新聞に、この人が容疑者ですよ、と
書き立てられると、たとえ無罪であっても
会社を辞めなければならなくなったり
親戚が肩身の狭い思いをしなければ
ならなくなる、という事が多々ありました。
そういった構図がIT技術の発達で崩れてきて
マスコミに疑われても、インターネット上で
反論もできるし、援護運動もできる、というように
なってきました。
またテレビの視聴率という概念に対して
インターネット上ではアクセス件数という形で
人々の関心の高さを量れるようになってきています。
そういう点では情報の民主化が起こっている、とも
考えられます。
(4)プレイスレス、行政指導と市場保護政策の無効化
かつての産業革命は
人を職場へ運ぶことを可能にし
大都市が形成されていきました。
IT革命は逆に、職を人のいるところへ
運ぶ事ができます。
ノートパソコンとPHSがあれば
在宅でも喫茶店でも旅行先でも
仕事ができます。
さらにヤフーオークションや
アマゾン・マーケットプレイスがよい例ですが
住んでいる土地に関係なく、パソコンと
回線さえあれば、世界に向けて商売が成立します。
かつて街の古本屋さんは、近所の人しか
ターゲットにすることができませんでした。
競合店が近くになければ、値段を吊り上げることも
できたはずです。
しかしインターネット上に古本屋ができてしまうことで
そういったことが不可能になってしまいます。
かつてはどんな商売でも重要だった、立地条件、というものが重要でなくなりつつあります。
インターネット上での取引が本やCDだけでなく
あらゆる売買に拡がっていけば
行政指導と市場保護、という戦後の日本政府が
担ってきた役割が無効になってしまいます。
というよりもむしろ邪魔なものに
なっていくのではないでしょうか。
以上がケンケンガクガクの激論の要約です。
ネガティブな面もポジティブな面もあり
IT革命が今後社会のあり方をどのように
変えていくのか
本当は誰も分からないのかもしれませんが
それはサイバーレボリューションとでも呼ぶべき
とてつもない変化です。
考え、議論しておくのは無駄ではないように思います。
2003年6月1日日曜日
べんちゃあ・すぴりっと 2003.6.X 初出
二十代は十回失敗しろ!
なんですと!?
と、僕は驚いた。
二十代に十回成功するのではなく
二十代に十回失敗しろ、とは何たる事だ。
二十代で四回失業し、三回倒産を経験し
二度自殺未遂を起こして、一度自己破産して
合わせて十回失敗しろとでも言うのか。
それに二十代で十回失敗するという事は
一年に一回失敗するということではないか!
なんたることだ。
さすがに企業経営者は学校の先生とは
言うことが違う、と僕は思った。
僕は仙台駅東口の新寺の某飲み屋、その名も
新寺、に来ていた。
そこで企業経営者のS氏と
知り合いになったのだが、二十代は十回失敗しろ
といきなり説教を食らったのだ。
気の弱い僕は反論する事もできずに、ただ
S氏の説教に頷いていた。
現代において、失敗とはなんだろう。
98年以前の日本では、失業、と言えば
サラリーマンにとって屈辱的な概念で
ちょっと他人には言えないことだった。
クビ、と言う言葉もあった。
まるで仕事を失くしただけで全人格を否定
するかのような言葉だ。
職を転々としている人は危ない人で
一箇所に長く勤めないと、履歴書が汚れる、という
表現もあった。
だが最近では企業の寿命が三十年であると
言われ始め、企業よりそこに働く人の方が
どうしても長生きするという事が明らかになり
さらに契約社員4割の社会がすぐそこ、などと
囁かれ始めるご時世になると
失業は一生に二度や三度は起こる通過儀礼であり
少なくとも他人に言えないような事では
なくなってきたような気がする。
また、かつて倒産と言えば経営者にとっては
死刑宣告に等しいもので
財産、信用、名誉をすべて失い、銀行からも
相手にされなくなる、という悲惨なものだった。
僕が子供の頃は、事業で失敗すると家族ぐるみで
夜逃げしなければならなかった。
つまりほんの少し前までは
日本はリスク回避型、というか、失敗の許されない社会
だったのだ。社会が敷いたレール、という言葉もあった。
親や教師の言うことをよく聞いて、社会の敷いたレールに
乗っていれば一生安泰。
そんな教育を受けて育ってきた子供たちに
ベンチャースピリットなんか育つわけが
ないのだが、政府は今になって、若者よベンチャー企業を起こせ、と叫ぶ。
二十代は十回失敗しろ!!
新寺で知り合った企業経営者のS氏は確かにそう言った。
血のションベンを流せ、とも。
血のションベン……
血のションベン……
血のションベン……流すのか!?
血のションベンを流しながら二十代で十回失敗
すれば、S氏のような企業経営者になれるのだろうか。
そこまでしてなりたくないような気もするが
ベンチャーを起こすというのは、そういうリスキーな
ものなのだろう。
そしてそういう人が尊敬される社会になっていかなくてはいけないのだろう、とも思った。
そして敗者復活が許されるような社会に。
とにかく安全第一で失敗もしないが成功もしない。
仕事も遊びもそつなくこなし、GWは
ユニバーサルスタジオジャパンに行きます、みたいな
人が、リスクを負って努力している人を馬鹿にするような時代は終わらなくてはいけないのだろう。
血のションベンを流しながら
二十代に十回失敗する……べんちゃあ・すぴりっと
なんですと!?
と、僕は驚いた。
二十代に十回成功するのではなく
二十代に十回失敗しろ、とは何たる事だ。
二十代で四回失業し、三回倒産を経験し
二度自殺未遂を起こして、一度自己破産して
合わせて十回失敗しろとでも言うのか。
それに二十代で十回失敗するという事は
一年に一回失敗するということではないか!
なんたることだ。
さすがに企業経営者は学校の先生とは
言うことが違う、と僕は思った。
僕は仙台駅東口の新寺の某飲み屋、その名も
新寺、に来ていた。
そこで企業経営者のS氏と
知り合いになったのだが、二十代は十回失敗しろ
といきなり説教を食らったのだ。
気の弱い僕は反論する事もできずに、ただ
S氏の説教に頷いていた。
現代において、失敗とはなんだろう。
98年以前の日本では、失業、と言えば
サラリーマンにとって屈辱的な概念で
ちょっと他人には言えないことだった。
クビ、と言う言葉もあった。
まるで仕事を失くしただけで全人格を否定
するかのような言葉だ。
職を転々としている人は危ない人で
一箇所に長く勤めないと、履歴書が汚れる、という
表現もあった。
だが最近では企業の寿命が三十年であると
言われ始め、企業よりそこに働く人の方が
どうしても長生きするという事が明らかになり
さらに契約社員4割の社会がすぐそこ、などと
囁かれ始めるご時世になると
失業は一生に二度や三度は起こる通過儀礼であり
少なくとも他人に言えないような事では
なくなってきたような気がする。
また、かつて倒産と言えば経営者にとっては
死刑宣告に等しいもので
財産、信用、名誉をすべて失い、銀行からも
相手にされなくなる、という悲惨なものだった。
僕が子供の頃は、事業で失敗すると家族ぐるみで
夜逃げしなければならなかった。
つまりほんの少し前までは
日本はリスク回避型、というか、失敗の許されない社会
だったのだ。社会が敷いたレール、という言葉もあった。
親や教師の言うことをよく聞いて、社会の敷いたレールに
乗っていれば一生安泰。
そんな教育を受けて育ってきた子供たちに
ベンチャースピリットなんか育つわけが
ないのだが、政府は今になって、若者よベンチャー企業を起こせ、と叫ぶ。
二十代は十回失敗しろ!!
新寺で知り合った企業経営者のS氏は確かにそう言った。
血のションベンを流せ、とも。
血のションベン……
血のションベン……
血のションベン……流すのか!?
血のションベンを流しながら二十代で十回失敗
すれば、S氏のような企業経営者になれるのだろうか。
そこまでしてなりたくないような気もするが
ベンチャーを起こすというのは、そういうリスキーな
ものなのだろう。
そしてそういう人が尊敬される社会になっていかなくてはいけないのだろう、とも思った。
そして敗者復活が許されるような社会に。
とにかく安全第一で失敗もしないが成功もしない。
仕事も遊びもそつなくこなし、GWは
ユニバーサルスタジオジャパンに行きます、みたいな
人が、リスクを負って努力している人を馬鹿にするような時代は終わらなくてはいけないのだろう。
血のションベンを流しながら
二十代に十回失敗する……べんちゃあ・すぴりっと
ゲームの途中でルールが変わるスポーツ!? 2003.6.X 初出
ゲームの途中でルールが変わる
スポーツ。
たぶんそんなスポーツはないと
僕は思いますが、銀行の頭取さん達は
最近よくそんなふうに嘆きます。
先日僕は、某銀行に公的資金が
投入されてカチンときてエッセイを
書いてしまいましたが
一方的に非難ばかりしてはいけない、と
思いなおしました。
相手の立場に立って物を考えるというのは
人類の黄金律です。
いったいどうスポーツの
ルールが変わったのだろう。
ものの本によると、グローバル化する経済活動の中で
企業会計も日本式を止めて国際会計基準を
導入する事になったらしい。
おそらくこれが銀行の頭取さん達が言う
ゲームの途中でルールが変わったという
事ではないだろうか。
いや、たぶんそうだ
きっとそうだ。絶対にそうだ。
従来の日本式の会計から国際会計基準に
ルールが変更されると
いったいどのように銀行経営は苦しくなるのだろう。
時価会計基準の導入、というのが難物らしい。
従来は取得時の価格で土地や株式を計上していたのに
それを突然、これからは時価、今の価格で
計上して下さい、となってしまったのだ。
取得時の価格から現在の時価へ
そうなると土地神話のもと
取得時には高騰していたであろう地価で
計上していた資産は、会計上一気に目減りして
しまうし
実際には株式を売買していなくても
東証の株価が下落して時点で
会計には赤字を計上しなくてはならなくなる。
現在の経済状況でそんな会計基準にいきなり
変更されたら、どうやっても会計上赤字に
なるしかないのだろう。
僕は分かった。それで銀行の頭取さん達は
ゲームの途中でルールが変わるスポーツだ
とプンプンしているのだ。
サッカーの試合をしていて
もつれにもつれた接戦の末に
3対2まで追いついたのに
後半25分に突然審判が笛を鳴らし
これからは1ゴールを3点で
計算します、と言ったら
きっと選手も監督も怒るだろう。
銀行の頭取さん達の気持ちもちょっと分かる。
でも現在の日本では、ほとんどの人が
そういう気持ちを抱えているのではないだろうか。
会社に忠誠を誓う事がよい事だったのに
突然、これからは会社に依存しないで
下さい、と言われて困っている人は
恐ろしくたくさんいると思います。
現在、世界も日本も大きな変化の中にあり
ビジネス書界の重鎮、ドラッカー博士によれば
この変化はあと十年以上続くらしいとの事です。
2013年までこの混乱が続くのか、と
思うと、僕は嫌になります。
~今日は大事な来客があるので
近所の花屋さんで花を
買ってきました。
店員さんと話をしていたら
最近は台湾やシンガポールからの
輸入ものの花が多いとの事でした。
ただ輸送中に痛んでしまうことが多くて
持ち、はあまりよくないとの事。
でも生け花まで輸入かよ、と僕は
驚きました。
どうやらグローバル化は止める事のできない
事実のようです。
銀行の頭取さん達にもなんとか
この難局をくぐり抜けてほしいと思います。
スポーツ。
たぶんそんなスポーツはないと
僕は思いますが、銀行の頭取さん達は
最近よくそんなふうに嘆きます。
先日僕は、某銀行に公的資金が
投入されてカチンときてエッセイを
書いてしまいましたが
一方的に非難ばかりしてはいけない、と
思いなおしました。
相手の立場に立って物を考えるというのは
人類の黄金律です。
いったいどうスポーツの
ルールが変わったのだろう。
ものの本によると、グローバル化する経済活動の中で
企業会計も日本式を止めて国際会計基準を
導入する事になったらしい。
おそらくこれが銀行の頭取さん達が言う
ゲームの途中でルールが変わったという
事ではないだろうか。
いや、たぶんそうだ
きっとそうだ。絶対にそうだ。
従来の日本式の会計から国際会計基準に
ルールが変更されると
いったいどのように銀行経営は苦しくなるのだろう。
時価会計基準の導入、というのが難物らしい。
従来は取得時の価格で土地や株式を計上していたのに
それを突然、これからは時価、今の価格で
計上して下さい、となってしまったのだ。
取得時の価格から現在の時価へ
そうなると土地神話のもと
取得時には高騰していたであろう地価で
計上していた資産は、会計上一気に目減りして
しまうし
実際には株式を売買していなくても
東証の株価が下落して時点で
会計には赤字を計上しなくてはならなくなる。
現在の経済状況でそんな会計基準にいきなり
変更されたら、どうやっても会計上赤字に
なるしかないのだろう。
僕は分かった。それで銀行の頭取さん達は
ゲームの途中でルールが変わるスポーツだ
とプンプンしているのだ。
サッカーの試合をしていて
もつれにもつれた接戦の末に
3対2まで追いついたのに
後半25分に突然審判が笛を鳴らし
これからは1ゴールを3点で
計算します、と言ったら
きっと選手も監督も怒るだろう。
銀行の頭取さん達の気持ちもちょっと分かる。
でも現在の日本では、ほとんどの人が
そういう気持ちを抱えているのではないだろうか。
会社に忠誠を誓う事がよい事だったのに
突然、これからは会社に依存しないで
下さい、と言われて困っている人は
恐ろしくたくさんいると思います。
現在、世界も日本も大きな変化の中にあり
ビジネス書界の重鎮、ドラッカー博士によれば
この変化はあと十年以上続くらしいとの事です。
2013年までこの混乱が続くのか、と
思うと、僕は嫌になります。
~今日は大事な来客があるので
近所の花屋さんで花を
買ってきました。
店員さんと話をしていたら
最近は台湾やシンガポールからの
輸入ものの花が多いとの事でした。
ただ輸送中に痛んでしまうことが多くて
持ち、はあまりよくないとの事。
でも生け花まで輸入かよ、と僕は
驚きました。
どうやらグローバル化は止める事のできない
事実のようです。
銀行の頭取さん達にもなんとか
この難局をくぐり抜けてほしいと思います。
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