2003年7月1日火曜日

お釈迦様の手のひらの上を駆け回っている孫悟空 其の三 西洋近代思想と仏教唯識論 2003.7.X

西洋の近代哲学はその後、フロイトやユングという
学者が、我思う故に我あり、の下には実は
潜在意識や集合的無意識という世界もあるのだ、という
事を発見していきます。
それらはいかにも世紀の大発見として
書かれる場合が多いのですが
仏教の唯識論はずっと昔に
我思う故に我あり、に対応する六識の下には
フロイトの潜在意識に対応する未那識(まなしき)があり、
ユングの集合的無意識に対応する阿頼耶識(あらやしき)があるのだとしています。
それを知り合いの画家さんに話してみたら
人間の心の構造なんて昔からそんなに変わらないんだぜ、と言われてしまいました。
確かにその通りかもしれません。

人間の心の構造なんてお釈迦様の昔からそんなに変わらなくて、
違っているように見えるのは
吹き込まれた情報や、育った環境の違いによるのかも
しれません。それとほんのちょっとのDNAの違い。

世代間のすれ違いも異文化間のすれ違いも
それは吹き込まれた情報や育った環境や
ほんのちょっとのDNAの違いであって、みんな人間なのだから、
心の基本的な構造はそんなに変わらないのかもしれません。

そうなると教育ってやっぱり大切だな、となります。
それとメディアの役割も大切だな、と。

現代の子供達の心が壊れているのなら
それは子供達の心に吹き込まれる情報や
子供達が住んでいる環境が壊れている、という事になります。
それでなければ子供達のDNAがちょっと壊れているとか!?
だって人間の心の構造なんてお釈迦様の昔から
そんなに変わらないのだから。
詩人の相田みつをさんの、人間だもの、は名言です。
ちなみに相田みつをさんは仏法を学んでいたらしい……なんたる事だ。

僕はこのエッセイで何度も仏教の唯識論は凄い、と
書いていますが、別に仏教関係者からマージンを
頂いているとか、突っ込んで仏教の
勉強をしたというわけではありません。
ただ仏教の思想体系というものを
ちょっとかじってみただけでも
そこには近代科学や近代哲学の発見とされるものが
既にあったりして、単純に感嘆してしまうわけです。
なんだそんな昔から知られていたのか、と。
そしてその頂点に立つお釈迦様というお人は
いったい何者だったのだろう、と。

近代というのは産業社会の生産性を
飛躍的に高めて人々の生活を
豊かにしてきたので
どうしても人類史の中で最も素晴らしい
特権的な時代なのだ、と評価されがちですが
本当にそうなのだろうか、と僕は思ってしまうわけです。

僕達はお釈迦様の手のひらの上を
駆け回っている孫悟空に過ぎないのでは
ないだろうか、と。

-お釈迦様の手のひらの上を
 駆け回っている孫悟空-(完)