2003年6月1日日曜日

恐ろしや、川端康成 2003.6.X 初出

国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。
夜の底が白くなった。

などと一行目で書かれてしまったら
読者は思わず続きも読んでみようと
なってしまうのではないでしょうか。
有名な川端康成の小説、雪国、の
冒頭の一文です。

国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。
夜の底が白くなった。

とても映像的な文章です。
この文章を映像で表現しようとしたら
カメラワークとしては、まず国境を思わせるカットを
撮り、そこから暗いトンネルに入っていき
トンネルの奥に光が見えてきて、しばらくしてから
雪に包まれた景色を写して出して、あ、雪国だ、と
観客に思わせなければなりません。
それだけ視点の移動の必要があるカットを
一文で行ってしまう、というのが
川端康成の凄いところです。

川端康成は新感覚派の作家であると言われます。
何が新感覚かと言えば、上記のような
映像的表現を巧みに行う事で
人の心理や内面を直接踏み込んで書くことなく
浮き立たせてしまう、というところが
新感覚、なのでしょう。

~について怒った、とか、~で哀しかった、と
直接的にエモーションを説明するのは簡単ですが
それを描写によって浮き立たせる、というのは
とても難しいものです。
説明は簡単だけれども、描写は難しい。

国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。
夜の底が白くなった。

映像を描写しているだけなのに
あるエモーションが浮き立ってきます。
名文と言われる所以です。

ここまでは川端康成についてよく言われる事なの
ですが、僕はこの一文をもっと深読みしています。
小説好きの友人には笑われますが
僕はちょっとマジです。

国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。
夜の底が白くなった。

僕はこの一文で、母親の子宮のトンネルを潜り抜けて
この世に生を受ける、人の誕生シーンを連想するのです。それともう一つ、
臨死体験の際に経験すると言われる、所謂トンネル体験も。

人の誕生においては、誰もが母親の子宮から
胎内のトンネルを潜り抜けてこの世界に
生まれてきます。そしてそこに広がる
新しい世界の感覚に驚き、産声を上げる。

逆に臨死体験においては
たいていのパターンでは、暗いトンネルを
潜り抜けていき、その先に花畑が出てきたり
天使が出てきたりする。

川端康成はそういった人の誕生や死における
イメージも、雪国の冒頭の一文に織り込んだの
ではないか、と僕は深読みして一人で怖く
なっているのです。
誕生や死にたいして誰もが深層意識に持って
いるであろうトンネル体験のイメージを利用して
物語世界に一気に引き込んでしまう。

国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。
夜の底が白くなった。

恐ろしや、川端康成。


雪国 (新潮文庫 (か-1-1))