2007年2月1日木曜日

公共哲学に基づく社会的企業「THE BIG ISSUE JAPAN」の挑戦 2007.2.X

ビッグイシュー、という雑誌をご存知でしょうか。

ビッグイシューは、1991年(世界史的には、ソビエト連邦崩壊
日本史的にはバブル崩壊の年)に、英国ロンドンで始まった
ホームレスの仕事をつくり、自立を応援する雑誌販売プロジェクトです。
日本では、水越洋子編集長の東奔西走の末、2003年9月
(アメリカ同時多発テロから二年後)に創刊されました。

ビッグイシューホームページにもありますが
このプロジェクトは、公共哲学に基づく社会的企業
あるいは社会的起業、だと僕は思います。

話は逸れますが、僕は、ここ何年か考え込んでいたのであります。
マルクスとエンゲルスの共産主義思想の下での
生産手段の国有化による計画経済は、ソビエト連邦の74年にわたる
壮大な実験の後に破綻してしまい、先進国は軒並み財政赤字で
(特にアメリカと日本は深刻)大きな政府から小さな政府への流れは不可避。
よってケインズ政策による有効需要創出のための大規模公共事業も、もはや不可能。
アダム・スミス、ハイエク型の新自由主義思想の下
血も涙もない剥き出しの資本主義システムが稼動し始める。
時を同じくして、下部構造にあたる生産手段が、農業、工業、知価、へと移行していき
世界はより速く、より複雑になり、精神面でも経済面でも
人々の生活の安定が失われていく――。

そういった中、各企業が、自社利益最大化のためにレッセ・フェール(自由放任)的に行動すれば
必ず社会的矛盾が生じてくるはずで、その矛盾を放置すれば
世界は、暗黒の中世、に逆戻りしてしまうのではないか、と。
新自由主義の市場原理下では、市場に、神の見えざる手、が働いて、資源の最適配分が
行われるのかもしれませんが、労働市場にも、神の見えざる手、が働いてしまうので
多くの人々の生活が不安定なものとなってしまいます。
(労働市場。嫌な言葉ですね。人間の労働が市場価値で売買される。
人々は自分の市場価値を高めるために四苦八苦。嗚呼、人間疎外。
一昔前のマルキストの嘆きも分かります)

そういった社会状況からもたらされる、痛み、を、自立、自己責任、といった概念だけで
個人へ被せるのはあまりにも酷だし、それでは社会の絆が壊れてしまうのではないか、と
僕は考えていたのです。
実際、最近の自己責任論議では、自己責任、というシニフィアンが
自業自得、というシニフィエに転換してしまっている感さえあります。
社会は、助け合い、互恵の精神、を失くして、殺伐とした空気(ニューマ)に
満たされています。

小泉首相は、痛みを伴う構造改革、とよくアナウンスしていましたが
まさに、その、痛み、を何とかしなくてはいけない時期にきているのではないか、と
最近僕は考えていたのです。
小泉首相が退陣した頃から、格差論議、が盛んになってきましたが
構造改革の、成果、と共に、その、痛み、も顕在化してきたのだと思います。
その点、小泉首相は誠実だったと僕は思います。
始めから、痛みを伴う、構造改革だと言っていたのですから……。
ただ、痛みに耐えてよく頑張った! が、痛みに耐えてよく死んだ! 
になってしまっては、それはもう人間の社会ではないと僕は思います。

痛みは始めのうちだけ、慣れてしまえば大丈夫
そんな事言えるあなたは、ヒットラーにもなれるだろう

byブルーハーツ

閑話休題。
フランシス・フクヤマ氏の、歴史の終焉、ではありませんが
人類のイデオロギー闘争を最終的に勝ち抜いたかに見えた
資本主義・民主主義・近代法、のトリオ・ザ・ファンク。
このトリオ・ザ・ファンクがどうも完璧なものではないらしいという事に、多くの人々が
気がつき始めたように思います。
では、この資本主義・民主主義・近代法のトリオ・ザ・ファンクがもたらす社会の矛盾・痛みを
解決するために何が必要なのか。共産主義でも社会主義でもケインズ政策でもなく……と
僕はここ何年か考え込んでいたのですが、それは、公共哲学に基づく社会的企業
或いは、社会的起業、なのではないか、と考えるに至ったのです。
図示すると以下のようになります(下部構造にあたる生産手段の変化に対応して)

農業――→工業――→知価
    ↑      ↑
  共産主義   公共哲学に基づく社会的企業

民間部門の人間が、公共的視野に立って社会的矛盾を発見し
又、解決しながら利益を上げていくという、公共哲学に基づく社会的企業。
資本主義システムの中で、資本主義の矛盾を解決していく、社会的企業、或いは
社会的起業、が必要なのではないか、と僕は考えるように至ったのです。
仙台インターネットマガジン代表の佐藤研一朗氏が、現在、アメリカのロチェスターで
起ち上げようとしている、世界で一番大きな写真展、ROMAプロジェクトもその一つだと思いますし
何より、ビッグイシュー、こそは、まさに、公共哲学に基づく社会的企業だと思ったのであります。

僕は、昨年六月に、仙台市青葉区五橋の福祉プラザビルで行われた
ビッグイシュー編集長の水越洋子さんのトークライブに参加してみたのですが
水越さんのお話を聞いていてそれを確信しました。
これぞ、今最も必要とされている、公共哲学に基づく社会的企業だ、と。
そういった意味でも、僕は、公共哲学に基づく社会的企業
「THE BIG ISSUE JAPAN」の挑戦を
全面的に応援したいと思うのであります。

で、この公共哲学に基づく社会的企業であるビッグイシューの
ベンダー(販売員)さん達は、基本的にホームレス状態の方々です。
そういったシステム上、僕もそうでしたが、ほとんどの人は
ビッグイシューを初めてベンダーさんから購入する際
恵まれない人への寄付や救済のような気持ちで購入してしまうと思います。
ですがそれは、ベンダーさん達への失礼な態度だと、すぐに気づかされると思います。

ベンダーさんからストリート雑誌、ビッグイシュー、を購入し
誌面に目を通してすぐに気がつくのは、ビッグイシューのその誌面の充実ぶり
圧倒的クオリティーの高さです。
ファッションやらグルメやら旅行やらのカタログ化した既存の商業誌にはない
イシュー、まさに、ビッグイシュー、が目白押しなのです。
説教臭くない形で読者に、イシュー、つまり、課題や論点を示し
新たな視点を提供してくれます。自然な形で知的好奇心も満たしてくれます。
こういった若者向けの媒体が、90年代にあれば
僕の学生時代ももっと充実したものになったのにな、と
現在の若者達をちょっと羨ましく思ってしまいます。

マクルーハンではありませんが、まさに、メディアはメッセージ
メディアがマッサージ、で、ストリート雑誌、ビッグイシューというメディアを通じて
マジョリティで、かつ、マイノリティの
ナショナルでありインターナショナルのメッセージを何回と受け取っていると
自分の中で何かが変わってくるのが分かります。
日本の既存のテレビや雑誌に日々触れていては錆び付いてしまう、感性、を
ビッグイシュー、というメディアは守ってくれるのです。
それは、失くしてはいけない、少年の声、のようなものです。
ビッグイシューを読み続けることで、人は優しくなれます。

ビッグイシューが社会に定着すれば、日本と世界は変わると思います。
僕は、公共哲学に基づく社会的企業
「THE BIG ISSUE JAPAN」の挑戦を応援したいと思います。
「THE BIG ISSUE JAPAN」をよろしく。


○仙台のビッグイシュー販売場所

パピナ名掛丁入口/サンモール一番町マクドナルド付近/一番町入口141ビル前――etc.

・ベンダー(販売員)さんが用事や休憩などで売り場を離れている事もありますので
 予めご了承下さい。基本的に一冊200円での販売となります。


―公共哲学に基づく社会的企業「THE BIG ISSUE JAPAN」の挑戦(完)―


関連URL

ビッグイシュー日本版
http://www.bigissue.jp/   

「NPO法人 仙台夜まわりグループ」
http://www.yomawari.net/