2004年2月1日日曜日

ヤバいの逆転(6)宇宙人の時代 2004.2.X 初出

以上見てきたような社会構造の変化で
どんどん日本人の一体感が
壊れていってしまった時、最終的に
日本人の社会的連帯感を保証するものは何か、と言えば
これは、神社、ではないかと僕は考えていますが
それはまた別の機会に。

本当は趣味のジャンルが違うから話が通じない
というのは嘘であって、どんなジャンルであっても
極めていけば同じところへ辿り着き
重なる部分が出てくるものなのですが
これまた日本文化の特質なのかもしれませんが
どんなジャンルであれ
タコツボ化、オタク化して行って
最終的には外部の人には
全く分からないものになってしまう、という
傾向があったりします。
不必要に難解な用語を振り回してみたり
業界でしか通用しない、隠語、を無数に
生み出していきます。
そして、業界語、隠語、を共有する事で
一体感が生まれ、世間様、が発生するので
世間好きの日本人にとっては
気持ちがよいのかもしれません。

そういったタコツボ化をできるだけ
排除し、そのジャンルに全く興味のない
他者、第三者、に対して
自分のやっている事を
分かりやすく説明できる
コミュニケーションスキルが
現在求められているのかもしれませんが
みんな一緒だよね、と
対象を一括りにしてしか
コミュニケーションできない
普通の日本人、達には
何を言っても通じないような気がしてしまいます。

さて、ヤバい、のは
普通の日本人、か、宇宙人、か。



-ヤバいの逆転(完)-







関連、
 
   
  現代の欲望の総体は何処へ
http://digifactory-neo.blogspot.jp/2012/09/20036_5336.html
  NO FUTURE IN JAPAN!?(1)~(6)
http://digifactory-neo.blogspot.jp/2012/09/1001-20039_7.html
  転換期を迎えた労働組合(1)~(4)
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  7%理論(1)~(4)
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  2003年死語辞典(1)~(8)
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  痴情のもつれ(1)~(2)
http://digifactory-neo.blogspot.jp/2012/09/120042.html



ヤバいの逆転(5)素敵な男性は合コン来ないよね 2004.2.X 初出

とにかく戦後日本システムの下では自明だった事が
あらゆる分野で、物凄いスピードで
変化を迫られているので
僕はこれからの日本社会では
恋愛の定型も変化していき
その可能性も狭まっていくのではないかと思って
しまいます。

先進国型の自由恋愛の場合は
たいていちょっと気取ったお店で
ちょっと気取ったお酒を飲みながら
なんとか男女の共通の話題を探り当て
親和欲求を満たしつつ

この男は浮気に走らずいつでも一緒にいてくれて
確実に毎月の家賃7万円を払ってくれるのだろうか……

とか

この女は一回セックスしたら
すぐに結婚の話を持ち出すタイプなのではないだろうか……

とか

この男は一見誠実そうに見えて
実は相当な女たらしなのではないかしらん……

とか

この女は口では、料理が得意なの、などと言って
家庭的なところをアピールしてはいるが
いざ子供ができたら実家に子供を預けて
遊びまくるタイプなのではないだろうか……

などとお互いの胸中を詮索しながら
次第にドツボにハマっていき
共依存の痴情のもつれの末に
ブスッ! と刃傷沙汰に及んだりします。

でも現代の日本社会では
男のような女
女のような男
という組み合わせが増えてしまったので
上記のようなステレオタイプな恋愛関係は
むしろ稀少になっていき、ギャグ、に
近くなっていくかもしれません。

ちなみに、このまま男が弱くなり女が強くなる状況が
あと10年以上続けば
女みたい、の意味するところは、猛々しい、になり
男みたい、の意味するところは、イジイジ
クヨクヨ、グズグズ、モジモジ……になっていくかも
しれません。

あんた男みたいに、グズグズ、モジモジしてないで
女みたいにシャキッとしないさいよ!

ちょっと笑えないものがあります。

少々話が逸れてしまいましたが
これからの時代の、恋愛の定型、が変化していくの
ではないかしらん、という話なのであります。

まず旧来の日本社会では、同世代の青年男女の
ライフスタイルはたいてい同じ、だったので
王様、ゲーム! 的な、合コン、で出会い
二次会のカラオケの途中から
気にいった男女が抜け出す、という
恋愛、がメインだったような気がしますが
ここまでメディアも趣味もライフスタイルも
多様化すると、合コン、カラオケ、というパターンは
もう成立しないのではないかと思ってしまいます。

ちなみに僕は、ある合コンでご臨席賜った
女性の方に、素敵な男性は合コン来ないよね、と
呟かれて、グサッ、ときたことがあります。
何も合コンの席で、合コンに来ている男性である
僕に向かって、素敵な男性は合コン来ないよね、と
単刀直入に呟かなくてもよいのではないか、と思って
しまったのでありますが
世の男性諸君よ

素敵な男性は合コン来ないよね

だそうであります。

柳田国男の、明治大正史、世相篇(中公クラシックス)の
250ページに

・ 何時の世の中でも青春の男女が迷わず、また
過たなかった時代というものはあるわけがない。
いっさいの判断を長者に委ねる者は格別、
すこしでも自分の思慮と感情とを働かせようとすれば、
ぜひとも何らかの修練方法と、指導の機関とが
必要であった。
幸いに村に若連中・娘連中と称するやや干渉に
過ぎたる批評者の群れがあったおかげに、
われわれの自由婚姻は幸いにして
多くの似合いの女夫(めおと)を作り得たのである。

とありました。

要は、いつの時代も、青春の男女が色恋で間違いを
犯さなかった時代はないのだから
親の、いいなずけ、ではなく
自由な恋愛をして結婚するのならば
それなりの、恋愛教育、や、恋愛訓練、や
恋愛技術、が必要なのだよ、という
事なのだと思います。
明治大正史、に書いてある事が、現在も有効だったり
するので、古典というのはやはり読んでみるべきだな、と
思ってしまいます。
現在、子供達にどこまで性の知識を与えるか、という
議論がなされているようでありますが
明治・大正、の時代と
さして状況は変わらないのだな、と
思ってしまいます。

ちなみに柳田国男の、明治大正史、には
処女会、なるものも紹介されておりました。
さすがに、童貞会、は見当たりませんでしたが
中々よいです。処女会。

僕は別に、民俗学の大家、柳田国男先生を
冷やかしているというわけではなくて
処女会、というネーミングに見られるように
かつての日本社会では、女性の貞操観念、が
自然に信じられていたのだな、という事を
言いたいわけであります。

時は移い、再び現代へ-。
明治以来の画一的中央集権化が終わり
価値観が多様化し始め、収入にも格差が生じ
ある世代の青年男女は、たいてい同じライフスタイルである
という条件下での、常識、がどんどん壊れていけば
合コン、は成立しなくなっていくかもしれません。
合コン、も死語になるのかもしれません。

合コン、は、言い換えれば、集団お見合い、です。
こう書いたからといって、僕は、合コン、を
否定しているというわけではありません。
柳田国男が、明治大正史、において
書ききったように
いつの時代も、青春時代の男女が
色恋で間違いを犯さなかった時代はないのであります。
お見合い、も、合コン、も
自由恋愛の中で、一組の夫婦を誕生させるための
一つの方法だと僕は思います。
ただ、その個人の恋愛技術を補ってくれるはずの
合コン、の場が、社会構造の変化によって
成立しなくなっていくのは大変な事だな、と
思うわけであります。

ここまで考察してくると
素敵な男性は合コン来ないよね、と僕が
とある女性に合コンの最中に呟かれて、グサッ、と
きたのもよく分かります。
素敵な男性、つまり
集団主義による結果の平等社会から
個人主義による機会の平等社会へ移行しようと
している現代社会において
ビジョンを持ち、何とかしようと努力している男性は
合コン(集団お見合い)の場には来ないよね、という意味
なのだと思います。

合コンで、受けるネタ、を探している暇があれば
素敵な男性は、英単語の一つでも覚えてしまうのでは
ないでしょうか。

最近居酒屋に出入りしたりしても
かつてのような、大所帯での合コン、を
あまり目撃しなくなったような気がしますが、どうでしょう。
2対2、か、3対3、か、4対2、くらいまではあっても
4対4以上は見かけなくなったような気がします。

若い人達は分からないかもしれませんが
ねるとん紅鯨団、というカップリング番組が
テレビで放送されていた頃は
あちこちの居酒屋で、15対17、とか
23対18、という物凄い大所帯の、合コン、が
見受けられたものです。

僕の感覚では、おそらくかつて、合コン、に
群がっていた層が、現在、出会い系サイト、に
集まっているような気がします。
一日中ケータイで、出会い系サイト、のメールを
チェックして、セックスしたとかしないとか
自慢話ばかりしている若い男性と職場で
一緒になったことがありますが
僕はあまり、羨ましい、とは思いませんでした。
そこまですれば、確かにセックスさせてくれる女性に
たまにあたるかもしれませんが……。

先述のとある女性の言葉を借りて言えば
素敵な男性は、出会い系サイト、にも
合コン、にも、来ない、という事に
なるのかもしれません。

でもこれまた先述の柳田国男が言うように
いつの時代も、青春の男女が色恋で間違いを
犯さなかった時代はないのだから
自由恋愛をするのなら、男女が上手くマッチングする
場所なり、機関の提供は必要だと思ってしまいます。
そうなると、結婚相談所の盛況、となってしまうの
でしょうか。

僕は、見合い、というのは、第三者が
当事者の、信用、を見込んで申し出るものなのだから
中々合理的なシステムなのではないかと
思ってしまうのですが
現代では、恋愛結婚じゃなきゃ格好悪い、という
常識、ができてしまったので
みんなとりあえず、恋愛、の形を取ろうとします。

でも歴史を紐解けば、むしろ、恋愛、というのは
非日常的で、且つ、貴族的なものであって
とんでもないテンションの高さ、と
とんでもない金と時間の労力、と、時には
命の危険、まで要求されうるものなので
あります。

現代の若い男女は、とても恋愛をイージーに
考えて、合コンや出会い系で簡単に知り合い
簡単にセックスして
簡単に刺したり、簡単に刺されたり
簡単に警察に訴えられたり
簡単に仕事を失くしたりしているようであります。
その辺は僕も、偉そうな事は言えませんが……。

今回は、僕が恋愛に対してちょっと奥手であるためか
動揺してあっち行ったりこっち来たりして
とりとめのない話になってしまいましたが
要は、現代はありとあらゆる分野が
過渡期なので、もうしばらく恋愛に関しても
訳の分からない事件、は続くだろうという話なので
あります。



-ヤバいの逆転(6)宇宙人の時代、へ続く-
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明治大正史 世相篇 (中公クラシックス)

ヤバいの逆転(4)脳天気だ 2004.2.X 初出

これから日本社会でのコミュニケーションは
どんどん難しくなっていくと思います。
僕は子供の頃、イギリス人は世間話で
天気の話しかしないそうだ、なんていう話を聞いて
ずいぶんイギリス人は寂しい人達だな、と
思ったものでありますが
日本社会もだんだんそうなっていくのかもしれません。
価値観がどんどん多様化し、ライフスタイルも
趣味も収入も細分化していけば
とりあえずの共通の話題は、天気の話、くらいしか
なくなります。

営業職をしている知人に話を聞いても
最近はまずは、天気の話、だそうです。
5年くらい前までは、巨人戦の話、とか
今年の紅白は、とか、日本人共通の話題、が
結構あったのでしょうが
サッカーしか見ない、とか、洋楽しか聴かない、と堂々と
主張する人が増えてしまったので
とりあえず得意先に営業に出かけた時
天気の話、から始めるしかないわけです。

「今日はいい天気ですね」

「ええ、そうですね」

「今日は凄い雪ですね」

「ええ、そうですね」

これは大変な事だなと思ってしまいます。

いい天気だ
いい天気だ
いい天気だ
ノウテン気だ

いい天気の午後には
ノーテン気で笑おう

ブルーハーツの、脳天気、という曲の一節で
あります。


-ヤバいの逆転(5)素敵な男性は合コン来ないよね、へ続く-
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ヤバいの逆転(3)一身独立して一国独立す 2004.2.X 初出

社会的連帯感はもちろん大切ですが
尊重すべき独立した人格をもった一人一人が
連帯感をつくりあげていくべきであって
まず連帯ありきでは、全体主義国家、になってしまいます。

実際戦後の日本社会は、唯一成功した社会主義国、と
揶揄されるほど連帯感だけは強かったような気がします。
それが現在壊れ始めていて、精神に異常をきたす人が
増えているように思ってしまいます。

これが意外な事に、明治・大正には
健全な実力社会、があったようなのです。
明治のオピニオンリーダー、福沢諭吉は
一身独立して一国独立す、と唱えましたが
現在求められているのは
一身独立して一国独立す、という
健全な明治精神、ではないかと思ってしまいます。

日露戦争あたりまでの日本社会は
案外まともだった、と主張する方は多いものですが
いったいこの国は、どこでどう道を誤って
しまったのだろう、と思ってしまいます。
一身独立して一国独立す、どころか
精神的・経済的に自立しようとすると
みんなと一緒になろうとしない
宇宙人、となってしまいます。

たぶん、他者性、宇宙人性、は
これから日本社会での
コミュニケーションを考える上で
結構重要な概念になると思います。

今までは、社会の敷いたレール、に乗って
みんな一緒だよね、とやっていた人達が
みんなと一緒になろうとしない人達を
ヤバい人、として排除していましたが
これからは、社会のレールに乗ったままで
他者性を獲得できていない人達が
逆に、話の通じない、ヤバい人、という事に
なるような気がするのですがどうでしょう。
価値観の180度の転換が起きているような気がします。

村上龍さんは、社会の敷いたレール、に乗っている人達の
特徴として、対象を一括りにする、という点を
上げています。
つまり、サラリーマンは、OLは
学生は、関西の人は、女子高生は
団塊の世代の人達は、といった形で
対象を、一括り、にするのだというのです。
確かにそういった、あるカテゴリー、に
属する人達の共通項は、昔に比べて
かなり少なくなってきています。

僕も、女子高生は、とか、団塊の世代の人達は
と、時々書いてしまうのですが
じゃあ他に適切な言葉があるのか、と言ったら
これが、ない、わけです。
これは大変な事だなと思ってしまいます。
話通じねえよ、と日本中で悲鳴が上がっているような
気がしてしまいます。

みんな一緒だよね、という形でしか
コミュニケーションできない
普通の日本人、による悲劇が頻発して
いるような気がしてなりません。
言葉の発明が求められているような気が
してしまいます。

ちなみに、春闘賃上げ交渉、は
春季労使交渉、になったようです。

春闘賃上げ交渉、という言葉には
闘い、を思わせる、激しい労使対立、であるとか
経営側に要求を突きつける事で
給料は、右肩上がり、にずっと上昇していくのだ
というニュアンスが含まれていますが
春季労使交渉、には
闘い、や、右肩上がり、のニュアンスが
ありません。

中々上手いネーミングだな、と思ってしまいます。
誰が考えたのだろう……。



-ヤバいの逆転(4)脳天気だ、へ続く-
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学問のすすめほか (中公クラシックス)

ヤバいの逆転(2)ミュータント 2004.2.X 初出

前回見てきたような、自分を通そうとすると
精神的にも経済的にも著しく不利益を被るような
社会システムにあっては、普通であること、が
最良の、サバイバル術、処世術、となります。

そうなると、ちょっとした、差異、が
イジメの対象、となってしまいます。
どこの国の学校でも、上級生による下級生に対する
ちょっとしたイジメ、はあるかと思いますが
日本の学校ほど、イジメ、が
陰湿で、悲惨なところはないのではないかと
思ってしまいます。

運動会で手を繋いでゴールさせる、という表の
徹底した平等教育の裏では
ちょっとした差異による
一生精神的に立ち直れなくなるような
陰湿で悲惨なイジメ、が行われているわけです。

平等を是とする教育政策で
逆に、イジメ、が深刻化してしまっているのではないかと
さえ思ってしまいます。

僕は海外経験のある日本人とは
コミュニケーションが比較的取りやすいのですが
それは何故だろう、とずっと不思議に思って
いたのですが、おそらく、他者性、にあるのではないかと
最近思い始めました。

海外で周りが外人だらけ、おまけに、世間様もない、という
経験をした人は、知らず知らず、他者性、を獲得している
のではないかと思ってしまうのです。

他者性のある人は、みんな一緒だよね、から
コミュニケーションをスタートするのでなく
あなたと私は、お互い尊重すべき独立した人格を持った
存在ですよね、というところから話を始めるので
日本社会では宇宙人である僕も
海外経験者とは話が通じるのだと
最近思うようになったのです。
それはきっと、他者性、なのだと思います。
宇宙人性、と言ってもよいかもしれません。

それくらい日本社会では
他者性、を持てている人が少ないわけです。
僕は他者性を持てている人に遭遇すると
まるでミュータントにでも会ったかのように
ビクッ、としてしまうのです。
あっ! 話通じる……


-ヤバいの逆転(3)一身独立して一国独立す、へ続く-
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ヤバいの逆転(1)泳げたいやき君 2004.2.X 初出

今までの日本社会では、みんな一緒だよね、という
世間様の強制力が非常に強かったので
他者性、を獲得するのがとても困難でした。

他者性、というのは、要するに
私とあなたはお互い尊重すべき人格を
持った存在ですよね、という事を認める事なのでは
ないかと思うのですが
一億総中流社会の下では、みんな一緒、でなくては
いけなかったので
あらゆる分野で、人並み、である事を強制され
小学校の運動会で手を繋いでゴールさせる
という、悪平等、の段階にまで至っていました。

そういった世界では、他者性、は持てないだろうし
育たないだろう、と思ってしまいます。
そして常に、多数派、マジョリティ、の側につくのが
最良の、処世術、となってしまいます。
悪平等、の学校を出て、今度は社会に出てみると
これがまた、派閥、学閥、の論理が支配するシステムに
なっていたりして
権力者に取り入る、金魚の糞、のような人物ばかりが
出世してしまいます。

毎日、毎日、僕らは鉄板の
上で焼かれて嫌になっちゃうよ
ある朝、僕は店のおじさんと
喧嘩して海に逃げ込んだのさ

始めて泳いだ海の底
とっても気持ちがいいもんだ
お腹のアンコは重いけど
海は広いぜ、心は弾む Yh!

社会の敷いたレール、に乗って
金魚の糞、のようにして
イエスマンでいる事が
最良の、処世術、である社会では
泳げたいやき君、のような曲が大ヒットします。

店のおじさんと喧嘩して
海に逃げ込んだりせずに
毎日毎日鉄板の上で嫌になるまで
焼かれるのが、最良の、処世術、となる社会では
自立、は、タブー、となり
自立しようとして海に逃げ込んだ、たいやき君、の
壮絶な最後に自分を投影し、号泣するサラリーマンが
増えるわけです。

そして、金魚の糞、つまり、イエス、サー、と
言い続けるのが、最良の、処世術、となる社会では
ヨイショ、の上手い人が大量発生してしまいます。

この戦後の日本社会の独特のロジックを利用し
対象を徹底的に、ヨイショ、する事で
逆に対象をおとしめる、ホメ殺し、という
人類史上例のない街宣活動戦術を編み出した
政治団体もありました。

竹下先生はすごい!
竹下先生はえらい!

と、徹底的に、竹下先生、を、ヨイショ、しまくる事で
逆に、竹下先生、をおとしめているわけです。

竹下先生はすごい!

と、ヨイショ、しているのだから
脅迫、でも、名誉毀損、でもないわけです。
政治に関心のない人たちには
竹下先生を褒め上げている親衛隊のようにさえ
思えてしまいます。

竹下先生はすごい!

ここでは、ヨイショ、の意味するところの
文脈を日本社会が共有していることを
前提とした、情報の発信者と受信者の
共犯行為が形成されています。

土井健郎さんが指摘した
甘えの構造、を逆手にとって利用したかのような
文学的な高等戦術です。

竹下先生はすごい!

一億総中流社会が終わり
競争社会が訪れ、日本社会全体が共有する
文脈がどんどん減っていけば
次第に、甘えの構造、は崩壊し
ホメ殺し、も、駄洒落、も
成立しなくなっていくような気がして
しまいます。
そして、金魚の糞、では生き残れなくなって
いきそうです。
泳げたいやき君、のようなヒット曲も
もう出てこないでしょう。

毎日毎日、鉄板の上で焼かれて嫌になっている
サラリーマンはまだよい方で
店のおじさんと喧嘩して海に逃げ込む前に
ある朝、突然、海に追い出されてしまう
時代状況になってきています。



-ヤバいの逆転(2)ミュータント、へ続く-
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「甘え」の構造 [増補普及版]

高等教育ネットワーク・仙台(4)偏差値3万光年説 2004.2.X 初出

バーチャル政党卵党の総裁である僕も
永田町の騒ぎが波及して、学歴詐称疑惑が
持ち上がってはまずいな、と思い立ち
先日、高校時代の通知表を取り出してみたのでありますが
これがまた30点以下の、いわゆる、赤点、の
オンパレードでありまして、自分でも
よくこれで大学に入れたな、と驚いてしまいました。

ちなみに当時NBA入りを目指して
真剣にバスケットボールに励んでいた僕は
この通知表の、赤点、のせいで
危うくバスケの大会に、出場停止、にされそうに
なった事がありました。
その時の、追試、は
なんとか、カンニング、で乗り切ったのでありますが
それにしても、これはもの凄い通知表です。

学歴詐称疑惑、が持ち上がっても
卵党総裁は大丈夫のようであります。
間違いなく僕の高校時代の全国偏差値は
25、です。

268人中、267位、という驚異的学年順位も
掲載されておりました。
上には上がいるものです。
僕は高校在学中、ひそかに
学年で一番の落ちこぼれは、この僕様だ、フフフ……と
自負していたのでありますが
上にもう一人いたわけです。
どこの世界にも上には上がいるものであります。
ちなみに268人目は誰だったのだろう……。

古典、10点!
現代文、2点!

という凄い数字もありました。

高校時代に現代文、2点、の人間でも
こうして現代文でエッセイを書いていられるのだから
世界中で公権力によって、落ちこぼれ、の烙印を
押されて憂鬱になってるみなさん
元気を出して下さい。

あなたの本当の偏差値は、3万光年です。

偏差値25だの、偏差値50だの
偏差値75だのと、公権力が押し付けてくる
下らない地上的尺度などで
自信を失い卑屈になっている必要など
サラサラないのであります。

あなたの本当の偏差値は、3万光年です。

僕の本当の偏差値は、3万5千光年くらいかもしれません。
偏差値25、というのは、あくまで宇宙から来た僕が
バレないように世を忍ぶための、仮の姿、なのであります。

地上的な公権力が貼り付ける
偏差値、などというものは
適当に相手をしてやってから
笑ってやればよいのであります。

ハンマーが振り落とされる
僕たちの頭の上に
ハンマーが振り落とされる
世界中いたるところで

ブルーハーツの、ハンマー、という曲の
一節であります。

公権力が世界中で
ハンマーを振り落とす事によって
もたらされる、48億の個人的な憂鬱。
地球がその重みに、耐えかねてきしんでいます。

安っぽいメッキなら
すぐに剥がれてしまうのです。

空っぽの言葉なら
もう僕は聞き飽きました。

学歴詐称だ、偏差値75だ
旧帝大だ、都立大だ、ハーヴァード大だ
東大だ、早稲大だ、風呂代だ、電話代だなどと
どうでもいい事たくさん抱えて
下らない事でビビることはないのであります。
今夜僕は叫んでやる、王様は裸じゃないか。
今夜僕は叫んでやる、王様は裸じゃないか。

たぶん僕の本当の偏差値は
3万5千光年くらいだと思います。
たぶんあなたの本当の偏差値は
3万光年くらいでしょう。
つまり僕の偏差値は
あなたの偏差値より
5千光年分くらい上だよ
と言っているのですよ、フフフ……。

ハンマーが振り落とされる
僕たちの頭の上に
ハンマーが振り落とされる
世界中いたるところで

というわけで、高等教育ネットワーク・仙台、の紹介を
するフリをしながら、またしても自己紹介を
してしまったのでありますが
仙台市教育委員会のみなさんも
やっと本気で、大学改革、に
乗り出したようなのですよ、という話なのです。
まあ公権力のやる事なので
たいした事はないと思いますが
適当に相手してから
笑ってやって下さい。

先生、僕の教科書に
誰か墨をこぼしちゃった

先生、三角定規じゃ
図れないものがあります

公権力のラウドスピーカー
福田康夫官房長官は
議員先生方の、学歴詐称疑惑、を取り上げて
ウソは泥棒の始まり、と
切り捨てたようでありますが
これだから公権力のラウドスピーカーは
オケツの穴が小さいな、と思ってしまいます。
嘘は泥棒の始まり、ではありません。
嘘は、小説の始まりです。

GIVE ME A EARTH!




-高等教育ネットワーク・仙台(完)-



関連、

どうして人を殺してはいけないの?
http://digifactory-neo.blogspot.jp/2012/09/20037_455.html
No FUTURE IN JAPAN!?(1)~(6)
http://digifactory-neo.blogspot.jp/2012/09/1001-20039_7.html
ゆりかごから墓場までバカ野郎がついて回る
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皆殺しのメロディー(1)~(2)
http://digifactory-neo.blogspot.jp/2012/09/1200310_8.html
手のひらを太陽に
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情熱の薔薇(1)~(4)
http://digifactory-neo.blogspot.jp/2012/09/1200310_5221.html
太陽が燃えている
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戦後日本システム崩壊の前兆(1)~(3)
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百日裁判(5)オレオレ詐欺
http://digifactory-neo.blogspot.jp/2012/09/520042.html


高等教育ネットワーク・仙台(3)建学の精神 2004.2.X 初出

~大卒だ、という健全な、ホコリ、は
あってもよいと僕は思うのですが
たいていの場合、それは、~大卒だ、という
醜悪な、オゴリ、になりがちです。

筒井康隆さんの、文学部唯野教授(岩波書店)という
本を読んでみると
タコツボ化した大学内で行われている
教授達による下らない見栄の張り合い
まさに、今大学で偉い事をしている人達、の醜態が
文学論を交えながら、これでもか、これでもか、と
見事に描かれています。
やはり教授会という世間様に
長く取り込まれていると
人間は腐って行くのだな、と思ってしまいます。
一日に一度は窓を開けて空気の入れ替えを行うように
定期的に花瓶の水を入れ替えるように
大学の教授会というものも
もっと水々しく風通しのよいものに
しなくてはならないのだな、と思ってしまいます。

国立大のいくつかが、帝国大、だった頃は
きっと学生も教授も
国を背負って学んでいたので
教授は偉かった、でしょうし、学生達も
地域社会などで尊敬されていたのだと思います。
ここ、学都仙台、においても
かつて東北大が帝国大だった頃は
お国のために学ぶ学生さん達を
地元で大切にしましょう、という
美風があったようであります。

でももう帝国主義の時代は終わりました。
つまりエリートが大衆を引っ張って
国家の近代化に取り組む、という時代は
終わったわけです。
そういった事情もあってか
現在仙台の地元の人の多くは、東北大を
トンペイ、と呼んでいるようです。
トンペイ、にはどうも尊敬のニュアンスは
感じられないような気がしてしまいますがどうでしょう。
むしろ、東南西北白発中……リーチ一発、裏ドラ付き
といった、マージャン牌、を連想させます。
トンペイの学生は確かにマージャンが
強かったように思います。
こういった形で、対象を一括り、にしては
いけないのでしょうが
確かにトンペイに通っていた僕の知人は
寮内でマージャンに明け暮れて留年を繰り返し
現在大学8年目を迎えているようであります。

何だか話が逸れてしまいましたが
要は明治以来の画一的中央集権化のための
エリート養成期間としての大学は
その歴史的役割を終えたのだと思うのであります。

でも名のあるブランド大学の教授達は
エリート意識、を捨てられずに
都立大学教授、であるとか
文学部唯野教授、であるとかの
肩書き、を手放したくなくて
大学改革、に抵抗しているのだと
思ってしまいます。
道路公団ではありませんが
ここにも、抵抗勢力、がいるようです。

本当のエリート、選ばれし少数者、であるならば
どこの大学の教壇に立っても
学生を唸らせる講義ができるはずだと
僕は思うのでありますが
ホコリ、ではなく、オゴリ、ばかり育ててきたから
有名大学教授、の、肩書き、を
捨てられないのだと思ってしまいます。

ノブレス・オブリッジ
貴族には貴族の義務がある

先憂後楽
先ず世を憂い、後に世を楽しむ

といった健全な意味でのエリート意識ならば
大歓迎なのですが、どうも現在の大学教授達の
動きは単なる、抵抗勢力、のように見えてしまいます。

選ばれた人とは、他人よりも自分を優れていると
思い込んでいる、気取り屋、ではなく
たとえ、自分に課した高度の要求を果たせなくても
常に、他人よりも自分に厳しい要求を課し続ける人である。

スペインの哲学者、オルテガ、の言葉であります。
オルテガは、大衆の反逆、という本で
一躍有名になったようですが
気の弱い大衆の一人でもある僕が
名著、大衆の反逆、を畏れ多くも
ちょいと読んでみたところでは
たいして難しい事は書いてありませんでした。

でもオルテガは一応思想史に残る偉い人のようなので
オルテガによる、エリート、選ばれし少数者、の定義を
借りて言えば

学問によって、真・善・美、を明らかにするために
たとえ、自分に課した高度の要求を果たせなくても
常に、他人よりも自分に厳しい要求を
課し続ける人が、選ばれし少数者
エリート教授、なのであって
都立大学教授、などという、肩書き、ブランド、を
守るために汲々とし、他人よりも自分を優れていると
思いたがっている、気取り屋、は
選ばれし少数者、エリート教授、などでは
ないのであります。

天は人の上に人を造らず
人の下に人を造らず

慶応義塾の創始者
福沢諭吉の、学問のすすめ、の冒頭の一文です。

僕の知り合いの英語教師も

Teacher IS Student
Student IS Teacher

と述べていました。

学問によって、真・善・美、を明らかにするのが
本来の大学の目的であって、都立大学教授、などという
肩書きで世間様から尊敬されたい、などというのは
本末転倒でしょう。
大学教授は、まず学問をすればよいのであって
尊敬は学問の後についてくるもののはずです。

幕末の志士達を育てた吉田松陰は
幕府によって捕らえられた後も
刑死するまで獄中で講義を行い続けました。
そうなると吉田松陰の肩書きは
都立大学教授、ではなく
犯罪者、となってしまうわけですが
吉田松陰は、現在も多くの心ある人々に
愛されております。
それは吉田松陰が、都立大学教授、などという
肩書きなど気にせずに
学問を行い続けたからでしょう。
もっとも当時は、都立大学、などはなかったと
思いますが、吉田松陰のその魂・ソウル・スピリッツを
学ぶのは悪くないと思うのです。
維新の成功を見ることなく
種だけ撒いて短い生涯を終えた吉田松陰は
まさに、ノブレス・オブリッジ
高貴なる者の義務、を全うしたのだと思います。

80年代に一世を風靡した
ブルーハーツというパンクバンドも

学校もジュクもいらない
真実を握りしめたい

と歌っていました。

人が学問をするために大学ができたのであって
大学のために学問ができたわけではないのです。

現在あらゆる学校の現場で失われているのは
建学の精神、なのではないかと思ってしまいます。

東大卒の朝日の記者には気をつけろ、という格言が
業界にあるそうです。
受験頭、と、エリート意識、だけを持った
ヤバい奴、という意味だそうです。

永田町は、議員先生方の、学歴詐称疑惑、で
大変賑わっているようであります。
いったん疑い出したら切りがないもので
あいつもでは、こいつもでは
と大変な事になっているようであります。

公立学校の先生達が、大手予備校に
生徒達の合否情報を提供し
金品を受け取っていた、というニュースも
先日ありました。

学歴社会の弊害、ここに極めり、であります。

誰かのルールはいらない
誰かのモラルはいらない
学校もジュクもいらない
真実を握りしめたい

こうして書いてきてみると
僕の建学の精神は
ブルーハーツにあるのかもしれません。
いつか卵大学ができたら
きっと校歌はブルーハーツの曲に
なるでしょう。



-高等教育ネットワーク・仙台(4)偏差値3万光年説、へ続く-
http://digifactory-neo.blogspot.jp/2012/09/420042_8.html
文学部唯野教授 (岩波現代文庫―文芸)

大衆の反逆 (中公クラシックス)


講孟余話 ほか (中公クラシックス)

学問のすすめほか (中公クラシックス)


高等教育ネットワーク・仙台(2)モグリ 2004.2.X 初出

東京都の都立大学改革の話題を
最近よく耳にしますが
他大学との単位交換制度やら
教授の定年制廃止やら
学長に西澤潤一氏を迎えるやらと
大変思い切った方針を打ち出しているようであります。

そういった都の方針に対し
都立大側の教授達が相当噛み付いたようで
ありますが、マッチョな石原慎太郎都知事によって

今の大学には誰も満足していない。
文句を言うのは、今大学で
偉い事をしている人だけだ。

と、一喝されてしまったようであります。

気の弱い僕もマッチョな石原都知事に倣って
言ってみたいものであります。

今の大学には誰も満足していない。
文句を言うのは、今大学で
偉い事をしている人だけだ。

翻って、高等教育ネットワーク・仙台、について
考えてみますと、講座を受講しても
単位、にはならないようですが
生涯学習、という事で
市民が学びたい時に学べる、という
とりあえずの環境はできたわけで
その事自体は大変な進歩ではないかと思ってしまいます。

それに、各大学の垣根を越えて、というのが
非常によいなと思ってしまいます。
僕が学生の頃は、入学した大学の
講座しか受講する事ができず
他大学の講座を受講するためには
いわゆる、モグリ、をしなければなりませんでした。
ただ、モグリ、には、モグリ、のよさがありまして
スパイゾルゲや007の主人公にでも
なったような、何とも言えない卑猥さ
後ろめたさの中で、こっそり学ぶ、というのは
中々悪くないものでした。
昔から、真理泥棒と花泥棒は
大目に見ろよ、とよく言います。

ただ50歳を超えて尚、放送大学に通っているという
向学心旺盛な知人に話を聞いてみたところでは
高等教育ネットワーク・仙台、の講座は
ガラガラだった、そうであります。

教育委員会がやることなので
最初はそんなものだとは思いますが
こういった試みを繰り返していけば
次第に、帝国主義時代の、旧帝大、を中心とした
ヒエラルキー(階層)型の学歴社会の下で
形成された、ブランド大意識、エリート意識、が
世間様から解消されて行くのではないか、と
思ってしまいます。

それに少子化で、受験戦争、は
もうすぐ自然消滅するようです。
~大卒だから偉い、という錯誤が
世間様から早くなくなってくれたら
よいなと思ってしまいます。

百日裁判(5)オレオレ詐欺、のエッセイにも
書きましたが、詐欺師は相手の先入観の
逆をついてくるのです。
詐欺師にとって、世間様、の
先入観や偏見ほどおいしいものはありません。
学歴に過剰な思い入れのある社会では
学歴詐称、を行う人が続出します。
現在の永田町の先生方の、学歴詐称騒ぎ、を
見ればそれは明らかです。
議員先生の学歴詐称、の、共犯、は
学歴に過剰な思い入れを抱く、世間様です。
永田町から、学歴詐称、を失くすには
世間様、に、学歴なんかどうでもよい、という
空気を形成していく事だと思います。





-高等教育ネットワーク・仙台(3)建学の精神、へ続く-
https://digifactory-neo.blogspot.com/2004/02/320042_1.html

高等教育ネットワーク・仙台(1)ボイコット 2004.2.X 初出

先日僕は、50歳を越えて尚、放送大学へ
通っているという向学心旺盛な知人から
高等教育ネットワーク・仙台、なるものを
ご紹介頂いたのでありました。

高等教育ネットワーク・仙台

ふむふむ、と、頂いたパンフレットに
目を通してみたところ
仙台市内の短大・大学などの教育機関が
各大学の垣根を越えて、一般市民や
職業人を対象とした講座を開く、というものでした。
中々よいではないか。

高等教育ネットワーク・仙台

最近僕は、やっと、大学改革、が
本格的に動き始めたのだな、と
実感しているのであります。
でも同時に、ちょっと遅かったな、という思いも
あります。
この国では毎度の事ながら
あらゆる病理が吹き出して
もの凄い数の人と
もの凄い額の金の被害を出し
もうこれではダメだ、滅んでしまう、という段階まで
追い込まれないと、改革、が始まりません。
事前に手を打つ、という事ができない民族性なのかも
しれません。

例に漏れず、大学改革、という問題も
僕が大学に入る頃から叫ばれていたのであります。
つまり10年近く前から叫ばれていたのです。
でも僕の大学在学中に、改革、は全く行われず
僕は、大学というのは何と下らないところなのだ、と
大学で学んだだけで大学を卒業してしまったのでした。

あまりに下らないので
僕はカチンときて
カチンときた僕は
卒業単位を全部取得していたものの
卒業式をボイコットしたのを覚えています。
そういえばその大学の、卒業証書、も
何処かへ行ってしまいました。
僕が大学で学んだのは
大学って下らないところだな、という事でした。

その世界一下らない日本の大学が
やっと改革に向けて動き出したのだな、と思うと
隔世の感があります。



-高等教育ネットワーク・仙台(2)モグリ、へ続く-
http://digifactory-neo.blogspot.jp/2012/09/220042_2186.html

痴情のもつれ(2)ドップラー効果 2004.2.X 初出

「僕は、君のこれからの事も考えて
そろそろ二人の関係を見直す時が
来たんじゃないかと思うんだ」

「何それ? 」

「いやだから、君のこれからの事も考えてさ
そろそろ二人の関係を……」

「何、何、何言ってるの?
それってわたしと別れたいってこと? 」

「いや、そうじゃなくて」

「あなた……他に好きな人ができたんでしょ? 」

「何言ってるんだよ、そんな事言ってないじゃないか」

「ううん、きっとそう、顔にそう書いてあるわ
わたしはあなたの事は何でも分かるのよ
他に好きな人ができたんなら、はっきりそう言えば
いいじゃないの……なのに、こんなところに
呼び出したりして」

「おい、何を言ってるんだよ、そんな事言って
ないじゃないか」

「おかしいとは思ってたんだ、前は毎晩電話して
くれたのに、最近では週に一度だけ……
他に好きな人ができたんならできたって
はっきり言いなさいよ! 」

「おい、落ち着けよ、みんなが見てるじゃないか」

「誰が見てたっていいじゃない
それで……今度のお相手はどこの誰なの? 」

「おい、落ち着けってば」

「ううん、やっぱりそうなんだ……この前言ってた
新人の女の子でしょ? 」

「そんなこと言ってないじゃないか」

「分かりました、別れましょ……あなたの部屋の合鍵
ここに置いておくからね、じゃあね、わたしもう帰るから」

「おい、ちょっと待てって、ちょっと待ちなよ」

「じゃあね」


バタン!!


「待ってくれよ、待ってくれよ、待ってくれよ
待ってくれよ、待ってくれよ、待ってくれよ
待ってくれよ、待ってくれよ……」


ドップラー効果……遠ざかる女は、より美しく見える。
                           大場 理史



-痴情のもつれ(2)ドップラー効果(完)-



芸術論集 文学のプロポ (中公クラシックス)

痴情のもつれ(1)動物的法則 2004.2.X 初出

「僕は、君のこれからの事も考えて
そろそろ二人の関係を見直す時が
来たんじゃないかと思うんだ」

「何それ? 」

「いやだから、君のこれからの事も考えてさ
そろそろ二人の関係を……」

「何、何、何言ってるの?
それってわたしと別れたいってこと? 」

「いや、そうじゃなくて」

「あなた……他に好きな人ができたんでしょ? 」

「何言ってるんだよ、そんな事言ってないじゃないか」

「ううん、きっとそう、顔にそう書いてあるわ
わたしはあなたの事は何でも分かるのよ
他に好きな人ができたんなら、はっきりそう言えば
いいじゃないの……なのに、こんなところに
呼び出したりして」

「おい、何を言ってるんだよ、そんな事言って
ないじゃないか」

「おかしいとは思ってたんだ、前は毎晩電話して
くれたのに、最近では週に一度だけ……
他に好きな人ができたんならできたって
はっきり言いなさいよ! 」

「おい、落ち着けよ、みんなが見てるじゃないか」

「誰が見てたっていいじゃない
それで……今度のお相手はどこの誰なの? 」

「おい、落ち着けってば」

「あなたにとって、わたしっていったい何なの? 
今までの事は全部遊びだったとでも言うの? 」

「おい、落ち着けよ、落ち着けってば、おい」

「殺してやる……」

「……」

「殺してやる、殺してやる」

「おい、待てって、おい」

「殺してやる、殺してやる、殺してやる……」


ブスッ!!


「クワッ」



動物的法則……恋愛は、究極において動物的法則に支配されるものだから、自由な恋愛の危険は、自由な戦争の危険よりも、おそらくいっそう目立ちやすい。 アラン



-痴情のもつれ(1)動物的法則(完)-


痴情のもつれ(2)
https://digifactory-neo.blogspot.com/2004/02/220042.html

メルマガ創刊記念 百日裁判(8)窮鼠猫を噛む 2004.2.X 初出

今回の衆議院選挙宮城一区二区で
当選した今野東議員と同二区の
鎌田さゆり議員(ともに民主)の
選挙違反事件では
NTT労組の2被告人と電気連合幹部の
1被告人が逮捕されて起訴されてしまったようです。

僕は仙台高等裁判所に百日裁判を
見にきたら本物の今野東議員や
鎌田さゆり議員を見れるのかな、と
楽しみにしていたのですが
どうやら勘違いだったようです。
今回は、両議員を応援していた労組の
幹部が公職選挙法違反で逮捕されてしまったよう
なのです。

そして、いつの頃からかできた、連座制、という
法律のために、彼らが有罪となれば
両議員も連座して、失職、となるようなので
あります。

となるとやはり、この、百日裁判、は
重要なわけであります。

でも、連座制、というのは
中々よい法律だな、と思ってしまいます。
昔の地方選挙などというのは
本当にのどかなものだったらしく
有権者を集めて酒を飲ませたり
ものを食わせたり金を配ったりという事が
当たり前のように行われていたようです。
有権者の方も有権者の方で
あそこの先生の食い物は旨かった、だの
どこそこの先生が出してくれた酒は
旨かった、だの、あそこの議員先生の包む金は
少ない、だのと当たり前のように話して
いたようなのです。のどかな時代だったわけですね。

候補者の方も候補者の方で
一念発起して選挙に打って出てみたはいいが
選挙で金を使い果たして
土地と家を失くした、なんて話も
ゴロゴロあったようです。
古き良き時代があったわけです。

もしかしたら近代化途上にあってこそ
人間の全ての悦びと哀しみが
あるのかもしれません。

でも社会が完全に近代化してしまった現代では
候補者も有権者も、そんな、おおらかさ、は
もうありません。
何かに怯えて、戦々恐々、としているような気が
してしまいます。

僕は実は、国会の壇上からコップの水を
ぶちまけて、ご退場、となってしまった
松波健四郎議員の大ファンなのであります。

別にコップの水をぶちまけたからと言って
人が死ぬわけでもないのだから
たまに撒いてやった方がよいのでは
ないでしょうか。

そもそも地球上に、水、H2O、があったから
地球上に生命が誕生したわけです。

卵党総裁である僕としては
ぜひ松浪健四郎議員を幹事長に迎えたいところで
あります。
記者会見は水だらけです。
流行語大賞ばかり作って
挙句の果てに世界中で迷惑されている
大手マスコミの記者さん達には海水パンツを
履いて記者会見に臨んでもらいます。
松浪幹事長がいくらでも
水をかけてあげます。

閑話休題。
今回の宮城一区二区の百日裁判は
労組の電話作戦、というどちらかと言えば
ささいな、件で逮捕者が出るという
どうも解せない内容です。

社民の辻本議員の逮捕も
どちらかといえば、消された、という
タイミングでした。

最近も某労組の裏金作りが発覚した
というニュースがありました。

これらの背後にあるのは
労組潰し、ではないか、と
僕は見ています。
転換期を迎えた労働組合、のエッセイにも
書きましたが、現在の労働組合は
全く機能していません。

僕が以前勤めていた会社にも
組合らしきものがありましたが
典型的な、御用組合、で
親善会費、のような名目で
全社員の給料から2000円くらい
抜き取っておきながら
社員には何も還元されず
本社の幹部が飲み食いに使う、というものでした。

これがまたヤ○ザな会社で
社長以下、取締役、役員とも
全員が親族で占められるという
コテコテの同族企業でありまして
役員の名簿に一度も見たことのない人の
名前があると思ったら
それは社長の愛人だから黙っていなさい、などという
話になってしまうのでありました。

こんな会社なので脱税で社長が
逮捕されてしまったので
国税局に追徴金を払うために
僕ら社員の給料が減らされてしまったのでした。

おまけに脱税したのがバレると
入札停止になるから
取引先には黙っていなさい、などと指示されて
しまうのです。
そして僕の仕事はなくなってしまいました。
その間、御用組合、は、何もしてくれませんでした。

そんな事があったので、僕は、労働組合、というものが
あまり信用できないのであります。

それとこれまた僕が以前派遣で働いていた
某役所では、組合の書記長がメルセデス・ベンツを
乗り回している、という典型的な、労働貴族、も
見ました。
ちなみにこの役所の労働組合には
民主党の超大物議員がご挨拶にこられておりましたので
今回の宮城一区二区の選挙違反事件の背後に
もし、労組潰し、の流れがあるのならば
次は僕が以前派遣で働いていた、某役所、の
労働組合が危ないと思います。
なんと言っても書記長がメルセデス・ベンツを
乗り回す典型的な、労働貴族様、です。
叩けばいくらでもホコリが出ます。

そして今回の百日裁判の主役でもある
NTT労組ですが、NTT自体がこれまた
巨大なヤ○ザ企業でありまして
ISDN回線を守るために
外部から依頼のあったADSL回線の
開通工事を組織的に遅らせていた、という話は
以前も紹介致しました。

僕もいい感じで壊れてまいりましたが
いったいこの国は、どこまで壊れていって
しまうのでしょう。

僕の周りにもNTTに出入りしている
知人が何人かおります。
やはりNTTは大きな企業であるわけです。
僕がNTTに出入りしている知人に
ちょいと話を聞いてみたところでは
やはり、選挙期間中、NTT労組は
民主党候補への投票を呼びかけていたようです。
知人の一人は、あの人達が逮捕されたんだね、と
感慨深げに話しておりました。
身近にそういった話を聞くと
やはり、リアル、です。

ちなみにNTTでは全社員が毎朝
ラジオ体操をするようです。
若い人達は分からないかもしれませんが
僕が子供の頃は、朝6時くらいに
叩き起こされて、近所の広場などで
ラジオから流れる掛け声に合わせて
体操をさせられたものです。
これを、ラジオ体操、と言うのです。
そしてラジオ体操を終えると
近所のオジサンがラジオ体操カードに
スタンプを押してくれたのです。
これが報償システムとなっていて
子供達はスタンプが増えるのが
嬉しくて毎朝ラジオ体操に出かける、という形に
なっていました。
最近テーマパークなどで見られる
スタンプラリー、のようなものを
イメージしてもらえたらよいかと思います。
子供や主婦は、こういうものに
弱いものです。

その、ラジオ体操、というのは
どちらかというと旧社会に属するものでは
ないか、と僕は思うのです。
つまり日本人が一丸になって何かに向かう
戦争へ、或いは経済戦争へ、という
1940年体制に属するのが
ラジオ体操、ではないかと思うのです。
そして、ラジオ体操、同様、激しい労使対立、という
ものも、1940年体制に属するものではないか、と
僕は思います。
そして1940年体制は、もう完全に終わろうとしています。
でもNTTではまだ毎朝、ラジオ体操、をして
激しい労使対立、をやろうとしているわけです。

2003年死語辞典、のエッセイにも
書きましたが、もう、春闘賃上げ交渉、は
完全に死語でしょう。
日経連の奥田会長も、春闘はもう死語だ、と
発言していました。
その奥田会長の発言に対して
連合の笹森会長が、あのバカ野郎が、と
言い返したらしいなどという話もあって
中々面白くなってきたのでありますが
若い世代の人達にとっては
奥田会長も笹森会長も
勝手にケンカしててくれ、という感じでは
ないでしょうか。
多くの若い人達にとっては
既得権益層同士のケンカ、にしか見えないような
気がしてしまいます。

犬猿の仲、というよりも
トムとジェリーのようです。
ほとんど、茶番、です。
もちろん日経連の奥田会長がトムで
連合の笹森会長がジェリーであります。
トム、トムトム、ニャーゴ
ジェリー、ジェリー、ジェリー、チュウ
猫が鼠に噛み付いた
あべこべだ、猫叩き
鼠だって、生き物さ
猫だって、生き物さ
トムとジェリー
仲良くケンカしな

窮鼠猫を噛む


というわけで、メルマガ創刊が嬉しくて
あまり張り切って色んな事を
書き過ぎたのではないか、と
少々心配ではありますが
悪い夢でも見たと思って忘れてやって下さい。




-メルマガ創刊記念
 百日裁判(完)-



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メルマガ創刊記念 百日裁判(7)水彩画 2004.2.X 初出

ルイ・ヴィトンの紙袋に裁判資料を入れた
弁護士さんを囲んでいる
大手メディアの記者さん達の輪に
ユニクロのリュックを背負って紛れ込んで
聞き耳を立てていても
どうにもならないな、と思った僕は
裁判所内をしばらく散策してみる事に
してみたのでした。

まず法廷のあるフロアを観てみたところ
廊下の天井が非常に高いな、という事に気が
つきました。
天井が高い空間にいると人間は
解放的な気分になるように
思うのですがどうでしょう。
そして天井が高い廊下から
天井の低い法廷内へ入る事で
厳格な気分、になれるような気がします。
これが逆で、天井の低い廊下から
天井の高い法廷へ入っていったら
人間は法廷内で解放的な気分になって
しまうと思ってしまいます。そうでもないかな。

国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。
夜の底が白くなった。

川端康成の、雪国、の冒頭の一文です。
ちょっと書けません。

裁判所内の天井の高い廊下を抜けると
そこは、法廷であった。
蛍光灯の明かりが白くなった。

ダメですね。
やはり川端康成は文章が上手いと思います。

公共機関の建物は、法令で
天井の高さが決められていたように
思いますが、それなりの根拠は
あるのだと思います。
閉所恐怖症、という人は
狭いところにいると
気が狂いそうになるようです。

おそらく、裁判を行うには
裁判を行うのに適した空間、というものが
あるのだと思います。
そして裁判官は法廷内で、黒い法衣、を
身にまとう事で始めて
私心を捨てた、法の番人、となれるのでしょう。

色や形、長さや幅や高さや深さには
きっと訳があるのだと思います。

法隆寺は木造建築としては世界最古で
1300年以上倒れていない、という凄い建物です。
一節には、総ヒノキ造りだからだ、という話も
あります。ヒノキは、切り出した後も
何百年かは強度が高まっていくのだそうです。
それにプラスして僕は
神社や寺院の建築を担う、宮大工、達の
技術力があると思ってしまいます。
ギリシャ神殿には、Φ(ファイ)、の法則が
観られると聞いた事があります。
宮大工達は、完璧な建築物を造ろうとすることで
宗教的境地に到達してしまうのでは
ないかと思ってしまいます。
ちなみにイエス・キリストは、大工の子、でした。
神とは長さであり幅であり高さであり深さである、という
人もいます。この宇宙、地球、人類の法則、仏法。

三島由紀夫はその遺作となった
豊饒の海、四部作において
徹底的に仏教の唯識論を極めようとしていた
わけでありますが
この宇宙、地球、人類の法則、設定に
限りなく近づいてしまったのか
執筆当時、周囲に、飛行機は落ちるからね、と真顔で語って
気味悪がられていたようです。

僕も子供の頃から、高所恐怖症で
ずっと飛行機に乗るのが嫌でした。
でも一度勇気を振り絞って
飛行機に乗って札幌まで行ってみてからは
面白くなってきて、半年もおかずに
沖縄まで飛んで行きました。
何を言いたいのか、と言いますと
札幌に行くために飛行機に乗るのでなく
飛行機に乗るために札幌に行ったりしている僕は
やはり三島由紀夫には遠く及ばないのだな、という事です。

と、また余計な事を考えながら裁判所内を
ウロチョロしてみたところ
廊下の壁にある但し書きが目につきました。
法廷内の禁止事項、として
ヘルメットを持ち込まない
ハチマキをしない
拡声器を使用しない……etc.と、ありました。
そんな人は今時いないと思いますが
そう書いてあるという事は
昔はそういう人がいたのでしょう。

でもその気持ちは分からなくもありません。
僕も公的資金が某銀行に投入された時は
カチンときたものでした。カチンときた僕は
スピーカーも街宣者も持っていなかったので
とりあえずヘルメットを被って
愛車のビラーゴXV250のアクセルを吹かせながら
某銀行に文句を言いに出かけたものでした。

そんなこともあったなあ、と、取り戻せない過去、を
思い出してセンチになっていた僕は
フロアの片隅で水彩画を描いている青年が
目につきました。

エッセイを書くために裁判所に来ている僕も
中々の変人ですが、水彩画を描くために
裁判所に来ているこの青年も中々の変人だな、と
同類の匂いを感じ取った僕は
ちょっと声を掛けてみようと近づいて行ってみたのでした。

描いている絵をそっと背後から盗み見したところでは
どうやら人物画のようでした。

人もまばらな裁判所のフロアの片隅で
水彩の人物画を描いている青年。
僕は見てはいけないものを
見てしまったのでしょうか。
なんだこの青年は幻覚でも生じているのかも
しれないな、と思いました。
だとしたら心苦しいところではありますが
民事裁判にかけてやって禁治産宣告でも
受けさせた方が両親や親戚のためにも
なるのではないだろうか……などと考えながら
気の弱い僕は勇気を振り絞って声を
かけてみたのです。

何をお描きになっているんですか、と僕。

無言で水彩画を描き続ける青年。

たぶん、その刹那、僕は完全にその青年から
無視されたのだと思いました。
ひどい、そりゃあ、ひどい、嗚呼、ひどい。

これはもしかしたら新聞などでよく見かける
被告人の水彩画ではないか、と僕は思いました。
たぶんそうだ、きっとそうだ、絶対にそうだ。

法廷内は撮影が禁止されているので
こうして被告人の水彩画を描いて
新聞社に売りつけたりしながら
画家を目指す、というライフスタイルも
成立するのだな、と僕は思いました。

法律にはいくらでも抜け道があるものだし
世の中には本当に色んな仕事があるのだな、と
僕は学びました。



註、・Φ(ファイ)の法則

b 対 a+b = a 対 b

が成立する時

a = 1
b = 1.618

となる。

つまり

1.618 対 2.618 = 1 対 1.618

この、1 対 1.618 の比を
黄金比Φ(ファイ)と言う。

数霊術的な、幻想、として片付ける者が
多い一方、黄金比の長方形は美しいとされる。
バッハのフーガ二単調の七つの間奏曲
ヴォズネセンスキーの詩、ゴヤ
ピタゴラス学派の象徴、五ボウ星形
などに、黄金比Φ(ファイ)が見られる。
指の関節比にも、1 対 1.618 の比が
見られる。




-メルマガ創刊記念
 百日裁判(8)窮鼠猫を噛む、へ続く-
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メルマガ創刊記念 百日裁判(6)ルイ・ヴィトン 2004.2.X 初出

何だか話が逸れてばかりでありますが
僕は宮城一区二区の選挙違反事件の
初公判を見るために仙台高等裁判所へ
来たのですが、傍聴券が取れなかったので
裁判所内のロビーをウロチョロしていたの
ですよ、という話なのです。

しばらくロビーをウロチョロとしていると
百日裁判関係の弁護士と思われる方が
ロビーに現れ、記者室から大手メディアの
記者さん達がド~ッと出てきて
ワ~ッと取り囲んで
バ~ッと質問を浴びせかけ始めました。

これは卵のなかみの僕も
遅れをとってはならない、とばかりに
記者の群れにとことこと近づいていきました。

ちなみに、この弁護士さんは
裁判資料を、ルイ・ヴィトンの紙袋に
入れておられました。
法曹関係者もお洒落になったものです。
20年くらい前ならば
裁判資料は風呂敷包みに入れておくのが
定番だったはずです。

何を言いたいのか、と言いますと
80年代に始まったDCブランドブームは
仙台高等裁判所にまで及んでいたのだな、という事です。
そして80年代のバブルの時期には
国民に一律に繁栄のパイの分け前が
あったので、みんなが一緒に、ブランド品を
持てましたが、現在の状況では
経済的格差が広がってきているので
ルイ・ヴィトンやエルメスや
シャネルやグッチを当たり前のように
持てる層と、ユニクロのバックしか
持てない層に、二極分化、が始まっているという
事なのです。ここで間違えてならないのは
経済的格差、イコール、人格的格差、ではないという
事です。

で、ユニクロのリュックを背負った僕は
ルイ・ヴィトンの紙袋に裁判資料を
入れた弁護士さんを囲む大手メディアの
記者さん達の輪に紛れ込み、聞き耳を立てていたのですが

一区と二区では性質が違う

とか

電話作戦が

とか

バイトが

とか

労組が

とか

契約が

とか

記憶が

とか

ぼうちんが(冒頭陳述の略か!?)

とかの単語が飛び交っておりました。

僕も記者クラブに所属しているフリをして
何か質問してみようかと思い至ったのでありますが
法の裁きの舞台である仙台高等裁判所の
ロビーで、あんまり勝手な事ばかりしてると
今度は僕自身が逮捕されて裁判に
かけられてしまうかもしれないな、と怖くなってきたので
大手メディアの記者さん達の輪に混じって
聞き耳を立てておくだけにしました。

でもやはり、傍聴券を取れなかったのは
痛かったな、と僕は思いました。



-メルマガ創刊記念
百日裁判(7)水彩画、へ続く-
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メルマガ創刊記念 百日裁判(5)オレオレ詐欺 2004.2.X 初出

と、僕は、仙台高等裁判所の記者室に
出たり入ったりしている大手メディアの
記者さん達を観察しながら
ツラツラと毎度世界をお騒がせしております
日本のマスコミの現状について考察してきた
のでありますが
だんだんと飽きてきたので
今度はケータイの電波が届くかどうか
確認する素振りを見せながら
各大手テレビクルーのスタッフさんの群れに
近づいていったのでありました。

テレビという媒体は、出演者達は
たいてい華やかな人が多いものですが
裏方さん達は、ルックスも
表情もあまりパッとされない方が多いものです。
あまりに人間的な
あまりに人間的な世界であります。

僕がケータイの電波が届くかどうか
チェックする素振りを見せながら
彼らの会話に聞き耳を立てていたところ

生(なま)にする?

光にする?

という所謂、ギョーカイ語、が耳に
入りました。

生(なま)にする?

光にする?

一体何の事なのでしょう。

生(なま)にする?

光にする?

僕が想像してみたところでは
たぶん夕方近くなってきて
だんだんと暗くなってきたので
光、つまり、ライトで照らして撮影するか
生(なま)、つまり、ライトを使わずに
撮影するか、の打ち合わせをしていたのでは
ないか、という事です。

生(なま)にする?

光にする?

僕がケータイの電波が届くかどうか
確認する素振りを見せながら
聞き耳を立てていたところでは
光、になったようです。

何を言いたいのか、と言いますと
TVの映像というのは
基本的に作られたものなのですよ、という話なのです。

TVを観ている大衆は
ある人物の発言内容のうち
だいたい5~10パーセントくらいしか
興味がないと言われます。
あとは声や表情が45パーセント
服装やスタイルが45パーセントくらいだそうです。

これに僕の自説を加えれば
背景、の要素もあるような気がします。
つまりパソコンの画面で言えば
壁紙、の部分です。

中田英寿選手は、記者会見の際
たいてい背景(壁紙)にヨーロッパの
近代美術などを持ってきます。

そういった映像を日本人がテレビで
観ていると、なんだか中田英寿選手と
ヨーロッパの近代美術がタブって見えてしまい
中田選手が、威厳のある人物、に見えてしまいます。
これは、中田英寿選手の背後に映し出されている
ヨーロッパの近代美術、という、壁紙、の力でしょう。

運転免許証では、たいていの人が
犯罪者、のような顔に見えてしまいますが
それは、証明写真、の背後にくる、壁紙、が
無機質なものだからではないでしょうか。

僕はテレビは観るのは嫌いですが
出るのは案外と好きなものですから
一度、小説家の卵、という事で
テレビに出演した事があります。

その時は、声や表情の45パーセント
服装やスタイルの45パーセントで
自分をアピールしてみたのですが
やはり効果的でした。

僕の発言に、テロップ、も付けられましたが
はっきりいって、本当に
発言内容などは5~10パーセントくらいしか
意味がありませんでした。
視聴者もスタジオのコメンテーター達も
僕の声や表情、服装やスタイルにばかり
目がいってしまって、話の内容などは
どうでもよい、という感じでした。

それというのも、僕はあまりにも
いい男な上に、カメラさん達の
撮影テクニックの効果もあいまって
芸能人のようにテレビに映し出されてしまったのです。

このテレビ番組出演時に
僕は自説でもある、壁紙、の効果も
試してみたのですが
これもかなり利きました。

たいてい小説家がテレビに出演する時は
それっぽく見せるために背景に
本がびっしりつまった本棚、という、壁紙、を
持ってきますが
僕はここで逆をついて
テレビカメラが部屋に来る前に
本を全部押入れに隠しておいたのです。
これは本当に効果的でした。

その時の映像は下記サイトに
アップしてありますので
興味のある方はぜひ、ご覧になって下さい。
映像の、嘘、を見抜く
メディアリテラシーを考える上で
結構重要な教材になるかと思います。
https://www.youtube.com/watch?v=1dmHTIkUF2g
https://www.youtube.com/watch?v=FP01O2yCELM
http://www-user.interq.or.jp/gotaka/papara/pp.htm 



こういった映像の持つ力を考察してくると
やはり映像を意識して
ボディビルで鍛え上げた肉体と
脳の松果体の部分に、日の丸、があり
黒字で、七生報国(七度生まれ変わり
皇国のご恩に報いる)と書かれた
白いハチマキ姿で自衛隊基地で
アジ演説を行い、割腹自殺を遂げた
三島由紀夫という作家の凄さに恐れいります。

当時を知る人に話を聞いてみると
難しいことはよく分からないけど
格好よかった、そうです。

三島由紀夫は命に代えて
当時の大衆に、何か、を残したわけです。

難しいことはよく分からないけど
格好よかった。

テレビの情報などは以上見てきたように
95パーセントが、嘘、なわけでありますが
格好いい映像、を作るのは
とても大切だと僕は思います。

フセイン大統領は、あなぐらで捕まった後
ボサボサの頭で米軍の医師から
口の中をこじ開けられている映像を
世界中に打電されてカリスマ性を失くしてしまいました。
今後アメリカ合衆国が北朝鮮を
崩壊させようとしたら
金総書記もきっと同じ運命をたどることでしょう。
いったいアメリカ政府は金総書記に
どんな、恥ずかしい姿、をさせるのでしょう。

要は、格好いい映像というのは大切なのですよ、という
話なのです。

僕が、小説家の卵、として取り上げられた番組を
観てくれた方の多くも、格好よかった、と
言ってくれます。
もちろんそれは作られた、格好よさ、です。
実際の僕は、映像では表現仕切れないくらい
格好よくて、ドブネズミみたいに
テレビにも写真にも偵察衛星にも
写らない格好よさ、があるのです。

もう一度書きますが
ここに格好いい僕の映像があります。
https://www.youtube.com/watch?v=1dmHTIkUF2g
https://www.youtube.com/watch?v=FP01O2yCELM
http://www-user.interq.or.jp/gotaka/papara/pp.htm 



僕はこの番組で、壁紙効果、を試したかったのと
もう一つ、本とコンピュータ、の関係についても
探ってみたかったのです。
ビル・ゲイツ氏は、あと20年で紙の本はなくなる、と
過激な発言をしていますが
僕も、紙の本は減る事はあっても
増える事はないのではないか、と思ってしまいます。
出版業界は、7年連続売り上げ減、だとの事です。
そこには、活字離れ、とか、ブックオフ、に代表される
新古書店ブーム、という要素もあるでしょうが
インターネット上に使える情報が増えてきている、というのも
大きいでしょう。
ビル・ゲイツ氏の、あと20年で紙の本はなくなる、という
予言は、あながち大袈裟なものではないような気がします。

実際、卵のなかみ、は、連載150回を超えていて
プリントアウトした原稿を積み重ねると
結構な場所を取りますが
サイバー空間では、メガ、ギガ、テラ、ペタの
世界になってしまうので
ネット上にどんどん原稿を上げても
部屋が散らかったりしないのです。

こういったプロセスを繰り返していけば
作家のテレビ出演時の、壁紙、は本棚。
研究者のテレビ出演時の、壁紙、は本棚。
大学教授のテレビ出演時の、壁紙、は本棚。
という今までのテレビ業界の
ステレオタイプな絵の作り方は
崩れていくのではないかと思うのです。

そうなるとビル・ゲイツ氏の予言するように
20年後には紙の本はかなり減っていて
作家の部屋も僕がテレビに出演した時の
ようなものになるかもしれません。

僕は限りなく詐欺に近い行為を
公共の電波を使用して行ったわけでありますが
思うところあっての、詐欺、でありますので
関係者の方々は予めご了承下さい。

僕がTVに出演した頃は
世間様に、まだバブルの余韻が残っていて
文学青年、などというと
キモい、とか、ダサい、と言われるような
雰囲気が残っていたので
後に続く若い人達のためにも
そういったイメージを壊しておきたかったのです。
それに、押入れに本を隠していた、と書けば
詐欺、ですが、押入れに本を片付けておいた、と書けば
詐欺、ではありません。

実際この時の僕のテレビ出演は
思わぬ副産物を生み出しまして
学生時代に、小説家の卵、大場理史、を
テレビで観た、という方が
中央文壇の新人賞を見事受賞し
小説家、となられました。
きっと僕の格好よさに魅せられたのだと
思います。
ただここで問題なのは
学生時代に、小説家の卵、大場理史、を
テレビで見た、という方が
もう小説家になったのに
僕がまだ、小説家の卵、のままだと
いう事です。

なんだか相当脱線してしまいましたが
僕がテレビ出演で試したかった事は
① 僕が格好いいという事
② 僕がとてもいい男であり、ナイスガイであり
且つ、イケメンであるという事
③ 映像はその性質上、人を欺くメディアであるという事
④ 20年後の作家の書斎の可能性
もしくは、20年後の一人暮らしの若者の部屋

この四つです。
そして僕がこの時のテレビ出演時に
一番困ったのは、僕の格好よさに見とれているばかりで
誰一人として、僕の部屋にテレビがない、という事に
気がついていないという事なのです。
本は押入れに隠しておいたのですが
テレビは本当にないのです。
そして部屋の中心に、パソコン、が
置いてあるだけ。
この事の意味する事の恐ろしさに気がついたのは
僕の部屋に取材に来てくれた方、ただ一人だけでした。
この部屋TVないですね? と青ざめた表情で
驚きの声を上げていました。
僕が、ないんですよ、と答えると
そのテレビ局のスタッフさんは
テレビがなくても生きていけますよね、と
寂しそうに答えていました。
きっと自分の仕事を否定されたような気がして
しまったのでしょう。
僕はこの人を身方につけました。
別に、買収した、というわけではありませんが。

こうして書いてみると
バレなかった一度目の詐欺ほど
詐欺師を勇気づけるものはないのだな、と思ってしまいます。

主イエス・キリストは、2000年人類を騙しました。
ブルーハーツも、せめて100年はバレない
たいした嘘をつく、と歌っていました。

そして僕はブルーハーツに騙されて
こんな大人になってしまいました。
でも後悔はしていません。
むしろ、騙されてよかったな、という気分です。
きっと、結婚詐欺、にあった女性も
こんな気持ちになるのだと思います。
騙されたけど、あの甘い月日の思い出は本物だったのよ、と。

なんだか最近は、オレオレ詐欺、などと言って
騙した方も、騙された方も
その話を聞かされた方も陰鬱な気分になるような
詐欺が横行しているようです。
詐欺師もスケールが小さくなったものです。
才能はあるのだから、心に愛を持って
世界のてっぺんに辿り着くような
アイデアたっぷり、やり方ばっちりで
強烈なインパクト第一印象で
みんな幸せになっちゃうような
志の高い大嘘、をかまして欲しいものであります。

面白いことを考えて
みんなを楽しくさせたいな

ブルーハーツの、ながれもの、という曲の一節であります。
でも、ながれものには惚れてはならぬ、のです。

走り続けよう情けはいらぬ
ながれものには惚れてはならぬ
戦う時には武器などいらぬ
愛する時には言葉はいらぬ

どうだ友達よ
目を覚ませ
地球はグルグル回るんだ
恋人達よ、抱き合って
何があっても離れるな




-メルマガ創刊記念
 百日裁判(6)ルイ・ヴィトン、へ続く-
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メルマガ創刊記念 百日裁判(4)流行語大賞選考室 2004.2.X 初出

というわけで百日裁判は
見れなかったのですよ、という話なのです。

でもせっかく仙台高等裁判所まで
来たのだから、という事で
僕はしばらく裁判所内のロビーを
ウロチョロとしてみたのでした。

今回の百日裁判は
相当社会的関心が高いらしく
大手メディア関係者も相当詰め掛けていました。
朝○新聞、や
読○新聞、の腕章をつけた
新聞記者さん達や
仙○放送、や
宮○テレビの台本を抱えた
テレビ関係者も来ていました。
スー○ーニュースという台本を
手にしておる方もおりました。
あと、卵のなかみ、の僕。

卵のなかみ、の僕が観たところでは
こういった大手メディア関係者は
裁判所内の、記者室、という所に
詰めていて、取材対象者が現れると
ド~ッとみんなで押しかけて
ワ~ッと取り囲んで
バ~ッと質問を加えて
サ~ッと記者室へ帰っていくようであります。

僕が一つ気になったのは
記者室で同業他社と
常に顔を合わせて情報交換などを
しているうちに、その記者達の事件に対する
主観、バイアス、が形成されていくのでは
ないだろうか、という事でした。

僕はこの、記者室、にも
日本社会独特の、世間様、があるのではないか、と
推測したのです。

僕はこのエッセイの中で
何度も、80年代の明るさの全体主義、であるとか
横並びの日本村、とか、GOD IN THE TV!?
といった具合に、テレビを中心とした
日本のマスコミの閉塞性を指摘しておりますが
それはこの、記者室、における
世間様、にも遠因があるのではないかと
今回思い至ったのであります。

大手メディアの記者同士が
記者室、の中で、世間様、を形成しているから
大手メディアの報道がどこも
似たり寄ったりで、抜いた抜かれた、という
低次元の競争になってしまうのではないか、と
推測したのであります。

田中耕一さんのノーベル化学賞受賞の際
ノーベル賞の受賞式を担当する
スウェーデンの外務省を困惑させた
日本のマスコミは
今度は自衛隊が派遣される
イラクのサマワで多くの人を
困惑させているようであります。
毎度お騒がせしております。
日本のマスコミであります。

7%理論のエッセイにも書きましたが
メガヒットを生み出すためには
TVの力が不可欠です。
7%理論とは、消費者一人当たりの
交友関係は平均13~14人。
だから全消費者100のうち7%にあたる
人々にその商品を普及させれば
その口コミを通して後は
7×13=91 7×14=98
でご名答。全消費者100のうち
91~98%の人が知る、メガヒット誕生、という
情報流通システムでした。
(詳しくは僕著、7%理論をご参照下さい)

大量生産・大量消費の20世紀後半の
産業社会における商品経済の普及は
それでよかったのでしょうが
これがニュースの内容や関心の対象までが
或いは論調までが、テレビコマーシャルの如く
全体主義的な内容になってしまっては
まずいのではないかと僕は思ってしまうのです。

日本のテレビを中心としたマスメディアは
IT革命、IT革命、構造改革、構造改革
鈴木宗雄、鈴木宗雄、と、何でも
流行語大賞的ノリ、になってしまいます。

そうなると
情報を受けとる側は、とりあえず
IT革命、IT革命、とメディアが騒いでいるから
よく分からないけどパソコン買ってみるか、とか
構造改革、構造改革、とメディアが騒いでいるけど
構造改革って何のことだかよく分からいから
若者達はみんな髪を染めているようだし
オジサンもちょっとだけ茶髪にしてみようかな、とか
鈴木宗雄、鈴木宗雄、とあらゆるメディアが
鈴木宗雄さんを叩いているから
とりあえず鈴木宗雄を叩いておけば
問題ないか、といった対応しかできなくなって
しまいます。

これでは、民は知らしむべからず、の
愚民化政策、です。
テレビのニュースを見ていると
分からない事などない、という錯覚に
陥ってしまいます。

テレビのニュースショーを観ながら
家族と一言二言感想を述べ合えば
世の中のことが全て把握できたような
気分になってしまいます。

でも各メディアで論調や
関心の対象が大幅に異なる、という状況に
なってくると、そうはいきません。
いったい何が本当なんだ、いったい世の中は
どうなっているのだ、と人々は不安になってくるはずです。
そうなると個人的に、考える、という行為が
必要になってきます。
つまり個人的に本を読んだり
インターネットで情報を探したりしなければ
ならなくなるわけです。

となると、民は賢く、なると僕は思います。
長期的に観た場合、その方が国力を
増強できるように思うのですが
日本のマスコミは相変わらず
流行語大賞生産システム
一億総野次馬化システム
を続けようとして
イラクのサマワへ大挙して押しかけていきました。

高級官僚主導の近代化途上における
愚民化成策のもとで形成された
報道システムはもう止めた方が
よいのではないか、と僕は思ってしまいます。

そういった旧来の
情報流通経路に取り込まれている人達は
たいてい、今はこういう時代なんだから
という言い方をします。

つまり、2004年2月現在は、仕事はないし
金利は0だし、訳の分からない事件ばかり起きるし
政官財は全て腐敗してるし
将来は大増税が待っているようだし
自衛隊はイラクへ派遣されてしまって
何が起こるか分からないし
というマスコミが流す情報を元に
今はこういう時代なんだから
何をやってもどうせダメだから
個人的に何かやろう、とか
海外へ行ってみよう、なんて
考えないで、暗く沈んでいなさい、と言いたいのだと
思います。これでは、暗さの全体主義、です。
暗さスパイラル、と名づけても
よいような気がしてしまいます。

日本は高級官僚を中心とした統制経済下での
近代化を終えたばかりなので
おそらくメディアも統制的情報しか流せないだと
思ってしまいます。
つまり、無知な大衆を情報的に統制しておこう、という
形での報道しかできない。

と、卵のなかみ、の僕は
仙台高等裁判所の記者室に詰めて
出たり入ったりしている
大手メディアの記者さん達を
観ながら考えたのでした。




-メルマガ創刊記念
 百日裁判(5)オレオレ詐欺、へ続く-
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メルマガ創刊記念 百日裁判(3)傍聴券 2004.2.X 初出

喫煙所の一服でエグゼクティブ弁護士に
勝って自信を得た僕は
胸を張ってトコトコと
選挙違反事件の初公判が
開かれる法廷へと向かいました。

法廷内への入口には
裁判所さんのスタッフさんがいて
中に入る人をチェックしているようでした。

僕が以前仙台高等裁判所に遊びに来た時とは
全く異なる雰囲気でした。
どうしてしまったのでしょう。

やはり911テロ以来、セキュリティチェックが
厳しくなっている世情を反映しての措置なの
だろうか、と僕は思いました。

人に疑われる、というのは
やはり面白くないものです。

アメリカ合衆国では、カウボーイ気取りの
史上稀に見る頭の悪い大統領が
海外からの入国者を、テロリスト予備軍だと
して、犯罪者のように指紋を採取するように
なった、なんて話もありました。

自由で輝いていたアメリカは
いったいどこへ行ってしまったのだろう……

などと考えながら法廷の中へ入ろうと
した僕は、裁判所さんのスタッフさんに
呼び止められてしまったのでした。
スタッフさんは、頭のてっぺんから
つま先まで舐めるように僕を見ています。

逮捕されて裁判にかけられるのだろうか……
どうしよう、どうしよう……でもここで
急に走って逃げ出したりしたら
ますますテロリストだと疑われてしまうのでは
ないだろうか……などとその刹那
走馬灯の様に様々な思いが
僕の脳裏をよぎったのでありました。

傍聴券を見せて下さい、とスタッフさん。

何ですと!? と僕。

傍聴券を見せて下さい、と再びスタッフさん。

傍聴券て何ですか? と僕。

再び怪訝そうな表情を見せるスタッフさん。

今回の裁判は、傍聴券のある方しか
傍聴できないのですよ、とスタッフさん。

なんたる事だ、そんなのありか。
僕はカチンときた。
カチンときた僕は
スタッフさんの顔面に一発張り手を
加えてからネクタイを引っ張って
フロアを引きずり回し、二三発腹部に
蹴りを入れた上で、入り口でチケットの
チェックなんかしてるだけで大金貰ってる
この税金ドロボーが、市民に開かれた裁判所を
実現すべく努力しているこの素晴らしい僕様に
仙台市民に非常に関心の高い
百日裁判の初公判を見せないとでも言いのかい
出るとこ出てもよいんだぞ、おい、と
説教の一つもしてやろうか、と思ったのでありますが
気の弱い僕がそんな芸当ができるわけもなく
スイマセンデシタ、とスタッフさんに
謝罪してからトボトボと
喫煙所に舞い戻ったのでした。

ここで読者のみなさんに
お詫びも含めてご報告差し上げなければならないのですが
衆議院宮城一区二区の選挙違反事件における
百日裁判の初公判は、僕が仙台高等裁判所で
傍聴券を取れなかったために
見れなかったのですよ、という話なのです。

さんざん盛り上げておいて
申し訳ないのでありますが
百日裁判は、見れなかったのですよ、という話
なのです。



-メルマガ創刊記念
百日裁判(4)流行語大賞選考室、へ続く-
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メルマガ創刊記念 百日裁判(2)弁護士に勝つ、再び 2004.2.X 初出

申し遅れましたが、どうして僕が
再び仙台高等裁判所に来ることになったのかと
言いますと、衆議院宮城一区二区の
選挙違反事件の初公判が行われる事に
なったからなのであります。

巷では、百日裁判、と呼ばれているようです。
たぶん百日で決まるから、百日裁判、と言うの
でしょう。

というわけで、僕は再び、仙台高等裁判所、に
来ることになってしまったのでした。

仙台高等裁判所に来たからには、やはり
やり手のエグゼブティブ弁護士さんと
並んで煙草を吸わなくてはいけないな、と
思い至った僕は、まず喫煙所へと向かいました。

仙台高等裁判所は、公共機関としては
珍しく喫煙所がとても多いので
愛煙家の僕としては非常に助かります。

ふと、喫煙所に目をやる僕。

いました、いました。
上等な仕立てのスーツに
弁護士バッチをつけた30代前半の男性が
煙草を吹かしています。
きっとやり手のエグゼクティブ弁護士です。
格好いい。

僕はそそくさと喫煙所に潜り込み
やり手のエグゼブティブ弁護士さんの
正面に座ってやりました。

やり手のエグゼクティブ弁護士さんの
煙草の銘柄は、マイルドセブンワンライト。
タール1mg.の健康煙草です。

僕の煙草の銘柄は、煙草屋のみっちゃんに
教えてもらった沖縄煙草バイオレット。
なんと、タール17mg.。

僕は、勝った、と思いました。




-メルマガ創刊記念
百日裁判(3)傍聴券、へ続く-
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メルマガ創刊記念 百日裁判(1)美人と一緒 2004.2.1 初出

というわけで僕は再び仙台高等裁判所へ
来ることになってしまったのでした。

仙台高等裁判所、のエッセイにも書きましたが
裁判所、という所は、たいてい、いかめしい造り、を
しているので、人を寄せ付けない雰囲気、が
あります。その点では美人ととても似ています。

人を裁く場所なので、やはり、いかめしい造り、を
していなくてはいけないのでしょう。
デイズにーランドのような場所で
判決を言い渡されても
人間は中々、罪の意識、を持てないと思います。

例にもれず、仙台高等裁判所、も
いかめしい造り、をしています。

僕が始めて仙台高等裁判所に足を
運んだ時には、その、いかめしい造り、に
圧倒されてしまったものでした。
そして怖気づいてしまって
家に帰りたくなってしまったのですが
ここで帰ったら男じゃない、とばかりに
勇気を振り絞って突入してみたのですよ、という
話は以前にも書きました。

でも今回仙台高等裁判所に
二回目の潜入を試みた僕は
逡巡することなく、スッ、と、いかめしい造り、の
建物内に入っていくことができました。
やはり美人と一緒なのです。
たとえ地球上の全ての男達が怖気づいてしまうような
美人であっても、付き合ってみれば
ただの女、になるのです。




-メルマガ創刊記念
百日裁判(2)弁護士に勝つ、再び、へ続く-
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