2003年12月1日月曜日

卵のなかみ150回記念・2003年死語辞典(6) 2003.12.X 初出

・脱サラ、人並み、普通の日本人

社会の敷いたレール、がある頃は
まともな成人はサラリーマンをしているのが
当たり前、という、常識、があったので
自分でリスクを負って商売を始めてみようと
する人は、脱サラ(脱サラリーマン)と呼ばれて
いました。他に似た言葉に、ドロップアウト、という
言葉もありました。

ドロップアウト、というと、落ちこぼれ、とか
不良、というニュアンスがあるような気がしますし
脱サラ、にも、何となくサラリーマン社会で
通用しなくて、脱落した、というニュアンスが
あるような気がします。
脱出、という感じもしないではないですが
確かに終身雇用や家族的企業経営が機能して
いた頃は、サラリーマンにならない人は
ちょっと問題がある、と思われていたような気がします。
職人、なども、サラリーマンよりちょっと低く見られて
いたような気もします。

でもこれからは違います。職人は手に職をつけているので、
勤め先がなくなっても他で食っていけます。
大卒ホワイトカラー中間管理職、という漠然とした
カテゴリーにいるより人よりも、はっきりと、~職人、という
手に職をつけている方が有利だ、という時代がくるかもしれません。
床屋さんや美容師さんも、カリスマ美容師、などが
登場してから、格好いい職種、になったような気が
しますがどうでしょう。
最近では人気ラーメン店の店長が格好いい、という
ムーブメントも起きてきているような気もします。
オンリーワン、という言葉も聞くようになりましたが
漠然とした、普通の日本人、でいることに
経済的なインセンティブがなくなってきているから
ではないだろうか、と思ってしまいます。

人間というのは何なのだろう、と思ってしまいます。
経済的インセンティブの付け方で意識が変わってしまう。
昔は、三高(高学歴、高身長、高収入)の男が
格好いい、とされていた時代もあったのです。
高身長、高収入、は今でも通用するかもしれませんが、
高学歴、はもう通用しないでしょう。
それは、高学歴、の経済的メリットが
減少してきているからです。

脱サラ、人並み、普通の日本人、という言葉も
死語になるかもしれない。

脱サラ、人並み、普通の日本人、を
ベンチャー企業、自立した市民、コモンセンス、と
置き換えると、しっくりくるような気がしますが
どうでしょう。
やはり日本は、近代化を終えたのだな、と思ってしまいます。


-2003年死語辞典(7)へ続く-
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