2003年12月1日月曜日

戦後日本システム崩壊の前兆(2)ヒ素入りカレー事件=共同体の崩壊 2003.12.X 初出

訳の分からない事件、の流れが始まった90年代後半の
象徴的事件として僕が記憶している二点目は
ヒ素入りカレー事件、です。
これは夏祭りで出されたカレーライスに
ヒ素が混入されていた、という事件でしたが
その後、職場のポットに異物が混入されていた、とか
似たような事件が続きました。
そういう意味でも、象徴的、でした。

地域共同体、や、職場の花見、などで
出されたカレーライスやトン汁に
毒物が入っているのでは、となったら
お祭り、どころか、近所付き合い、すら
成り立ちません。
そういう意味では、僕は、というか多くの方が
指摘していたように、あの事件は、共同体、に対する
重大な挑戦でした。

会社でも地域でも、人間が集まる全ての、共同体、は
その構成する一人一人の人間に対する、信用、が
なければ成り立ちません。

うちの地域のお祭りでは、どうも食べ物に
何か入れてる人がいるらしい……

うちの会社では、ポットの水に
何か入れてる人がいるらしい……

となったら、その、共同体、は
もう成立しないでしょう。
そんな、夏祭り、や、会社、には
行きたくないと誰もが思うからです。

最近でも

うちの大学のあるサークルで
女の子に酒を飲ませてから強姦したりしているらしい……

というちょっと信じられない事件がありました。
そうなれば、もちろんその大学の、サークル、という
共同体ももう終わりでしょう。
そんなサークルには誰も行きたくないからです。

ゲセルシャフトとゲマインシャフトのエッセイにも
書きましたが、日本社会には
かつて、家族的企業経営、というものがあって
会社は家族、だったわけです。
戦後のある時期までは、復興、や、高度経済成長、が
全ての日本人の悲願だったので
家族的企業経営、でも問題なかったのだと思います。

つまり、ゲセルシャフト(法律や契約などのクールな社会)と
ゲマインシャフト(地縁・血縁・地域共同体)の利益・目標が、
復興、や、高度経済成長、という事で一致していたわけですから。

当時は、会社勤めのお父さん達は
日本の復興のために働く、英雄、だったはずです。
きっと地域社会でも、学校でも同窓会でも
働くお父さん達は尊敬された事でしょう。

でも2003年現在、復興、や、高度経済成長、といった
日本人全てが共感できる目標はありません。
構造改革、というのは、むしろそういった
戦後復興期型の社会システムを壊します、というものです。
卵党総裁演説、のエッセイにも書きましたが
もう壊さない事にはどうにもならない状況です。

ゲセルシャフト(法律や契約などのクールな世界)と
ゲマインシャフト(地縁・血縁・地域共同体)の利益は
もう一致していないわけです。
つまりもう、会社は家族ではない。

一部上場企業といえども、全ての企業が
日本のために、頑張っているわけではありません。
安い人件費が手に入るのであれば
企業はどんどん海外へ出ていきます。
現在の大手企業の業績の回復は
従業員の解雇によるものだと
言われています。もう会社は家族ではないわけです。
株式会社の目標は、日本の復興、ではなくて
株主に利益を還元すること、になってしまったのです。
それが資本主義だ、と言われれば
それまでですが、昨日まで一緒に働いていた人達を
経済合理性だけで簡単に解雇するというのは
いかがなものかと思ってしまいます。
こういう感覚を持っている僕は
もしかしたら、家族的企業経営、にまだ毒されて
いるのかもしれません。

それは兎も角、株式会社の目標が
日本の復興、ではなくて
株主に利益を還元すること、になってしまったので
会社勤めのお父さん達は
会社で頑張っただけで、地域共同体や
親戚の集まりや同窓会でも尊敬されるという事は
もうないわけです。

ヒ素入りカレー事件の話をするのに
どうして、家族的企業経営、の話をしているのか
というと、どちらも、共同体、の問題だからです。

大きな目標のもとで、共同体各自が
何かに取り組んでいる間は
エネルギーが一つに向けられるのでよいのですが
現代のように、国家的目標喪失の時代にあっては
共同体を構成する人間のエネルギーなりリビドーなりが内部化し、
陰湿な暴力として身近な共同体内部の者に
向けられてしまうのではないか、という話なのです。

前回に続いて政治の話になりますが
政治家が次の時代の行きすえを示せて
いないので、行き場のなくなったエネルギーが
内部化してしまっているだと思ってしまいます。
つまり世界に向かって、日本がこういう理想を
示してみせるのだ、という目標がないので
エネルギーが内部化し、身近な人間に対する暴力になってしまう。

世界に向かって日本がこういう理想を示してみせる
といっても、それは侵略に向かっていけ
という話ではなくて、憲法にもあるように
国際社会において名誉ある地位を占めたいと思ふ
という姿勢を示してみせる事ではないかと思います。
ただ憲法にはそう書いてあるのですが
国際社会において、日本の政治家が一番不名誉な存在
なのではないか、と思えるくらい一頃は政治が
ひどかったので、言葉が死んでしまっていたわけです。
前回も書きましたが、今回の衆議院選挙では
族議員が相当落選し、不名誉な政治家も相当落選した
ようなので、政治家が尊敬される時代が戻ってくる
かもしれません。でも歩みは遅いような気がします。
現在、多くの子供達にとっては、中田英寿選手や
イチロー選手、の方がむしろ、国際社会における
名誉ある地位を占めている、尊敬できる存在なのではないかと
思ってしまいます。
僕は、オウムの地下鉄サリン事件の年に
つまり1995年に、野茂英雄投手が国内で馬鹿にされながらも
海を渡って成功してしまったのは象徴的だったと思います。
現在海外と関われる日本人には希望があります。
国連の緒方貞子さんなども
国際社会における名誉ある日本人、だと
僕は思ってしまいます。
でもそういう日本人は、まだ少数派でしょう。
むしろ、社会の敷いたレール、がなくなって
何をしたらいいか分からない
何がしたいか分からない、という人が増えている
ような気がします。

ある意味、ファシズム、全体主義、が最も
手っ取り早く全ての問題を解決する方法だったり
するわけです。
だから、日本はファシズム前夜だ、と言う
人がいるのも肯けます。
ヒットラーのような英雄が出てきて
手っ取り早く全部片付けてくれ、と思っている人は
結構多いと思う。
僕は、アレキサンダー大王のような人に
出てきて欲しい、と話をしている人に会った事があります。
でもそういったアプローチが間違いであることは
歴史が示しているし、7%理論にも書きましたが
メディアが多チャンネル化して
しまったので、国民を情報的に囲い込むのももう無理です。
根気強く、一つ一つの問題を片付けていくしかないわけです。
そして霞ヶ関支配が終わるのだから
お上(おかみ)が何とかしてくれるだろう、と
思わないで、社会を構成する、市民、としての
自覚を持った一人一人が小さな行動を起こして
いくしかないわけです。

こうして書いてみると、やはり政治です。
社会の歪み、を解決するのは
政治の仕事なのです。
この政治の舞台が、官僚や業界と
癒着した族議員が跋扈する利益誘導だけの
舞台になってしまっていたのが
70年代以降の諸問題の全ての原因のような気がする。

政治家、と、政治屋、という言葉があって
政治家、は尊敬されても、政治屋、は
尊敬されないのだと思う。
バブルの頃は、都内の高級料亭で、
なんだか上手いことやっている
政治屋、が、政治家、だと思われていました。
みんな、そんなもんだろ、と諦めていたような気がします。
高級料亭で芸者と遊びながら
票を買ったり、官僚に口利きしたり
するのが、政治家、だと思われていたわけです。
経済が回っているからそれでいいか、という要因も
あったと思います。
政治家、というのは
金と女にまみれながら汚いことをしている人達
だとずっと思われていたわけです。
でもそれは、政治屋、であって、政治家、ではないのです。
そういう、政治屋、を永田町に跋扈させてしまっていた責任は
国民の側にもあるのでしょう。
その国民の水準以上の政治家は生まれないのだと
何かの本で読んだ事があります。

今回の衆議院選挙では
政治屋、がかなり落選しました。
政治の可能性が戻ってこれば
政治家、が尊敬される時代が戻ってくるかもしれません。

現在、国が抱える膨大な赤字国債は
日本人がまだ日本を愛しているからヘッジされていますが、
これが日本人自身によって、日本が見放されるようになり
外国の口座に資金が流れたりするようになると
つまり、キャピタル・フライト(資金の海外逃避)が
始まると、ヤバい、と言われています。

その段階に至れば、共同体内部の暴力も
ますます陰湿化していく事でしょう。
目標喪失、どころか、共同体の成員によって
見放されるわけですから。
僕はそんな日本は見たくありません。

でもいい材料は、ほとんどありません。
2003年死語辞典のエッセイにも書きましたが
平均株価が上昇すれば、日本人全員にパイの分け前が
あるのだ、という、常識、も、幻想、になりつつあります。
IT技術は、短期的にはデフレ要因です。
それに不況の長期化で、世界一高い、と言われていた
貯蓄率、も落ちてきているようです。
生活費のための取り崩しの段階にきているわけです。
郵政事業の民営化によって、膨大な財政投融資の資金も
いずれ政府の自由にならなくなるでしょう。
預金封鎖しても赤字国債をペイできなくなると思います。
そうなると、戦争、か、増税、しかありません。
戦争、も、増税、もいけない、という社民党が
今回の衆議院選挙で壊滅的に議席を減らしたのは
よく分かるような気がします。
もう庶民はそんなに無知ではないのだな、と思ってしまいます。
戦争、も、預金封鎖、も嫌なら、増税、するしかないわけです。
それで先日の、2004年税制改正で120億円の増税、と
なってしまったのでしょう。

日本政府はアメリカ政府の赤字国債を大量に引き受けています。
僕はアメリカ政府は、これ以上日本政府を苛めない方が
よいような気がします。
アメリカ政府の赤字国債を売りに出しますよ、という
気合の入った政治家が出てきて国民に支持されて
しまうことがあるかもしれません。

今となっては信じられませんが
60年代頃には、若者達が難しい本を片手に
喫茶店で政治の話をする、というスタイルが
一番格好良かったのだそうです。
政治の可能性が戻ってこれば
またそんな、政治の季節、がくるのかもしれません。
誤解されると困りますが、僕はそういった、混乱、を
望んでいるわけではありません。
ただ状況はどうしようもない段階に
近づいていると思うのです。

今回仙台インターネットマガジンの
衆議院選挙特集をお手伝いさせていただいて
分かったのですが
年金貰えんの? とか
仕事なくてフリーターしてるしかないんすけど……とか
国の借金どうすんすか? といった
若者の素朴な疑問をぶつけてみても
候補者の方々は、ちゃんと回答をくれました。
中にはちょっとムッとした回答もありましたが
それでよいと思いました。
政治に可能性を感じられれば
テロは起きないと思います。
前回も書きましたが
何を言っても分からないから
一発おみまい、となるのがテロのような気がします。



-戦後日本システム崩壊の前兆(3)へ続く-

https://digifactory-neo.blogspot.com/2003/12/3200312.html


関連 

  

  ゲセルシャフトとゲマインシャフト
http://digifactory-neo.blogspot.jp/2012/09/20036_7088.html
  卵党総裁演説(1)~(3)
http://digifactory-neo.blogspot.jp/2012/09/20037.html