2003年9月1日月曜日

転換期を迎えた労働組合(4) 2003.9.X 初出

僕が以前某役所に派遣労働者として
勤めていた時の事です。
僕はその役所の労働組合の方々と仲良くなる機会が
ありまして、いろんな話を聞いたのですが
その中で、みんな9時出勤で17時退勤
組合の書記長さんは、メルセデス・ベンツに
乗ってるよ、という話を小耳に挟んだのであります。

別に組合の書記長が、何の車に乗っていようが
個人の趣味なので勝手ですが(僕はYAMAHA
ビラーゴXV250という格好いいバイクに乗っています)
メルセデス・ベンツ、というと、労働者階級、というよりも、
どうも、ブルジョワ資本家の象徴、という感じがしてしまうのは
僕だけではないような気がしますが
どうなのでしょう。

ちなみに、僕がそこの組合に勤めていた
ちょっと年下のかわいい女の子に

給料いくらなの? (How much? )  

と、ズバリ率直に、且つ、生々しく聞かれた事がありまして、
僕は赤面しながらも正直に

時給610円だよ

と答えたら
そこの組合に勤めていた
ちょっと年下のかわいい女の子に、ゲッとした表情で

何で働いてんの? 

と怪訝そうに聞き返された事を、僕は今でも覚えております。
たぶんその刹那、僕は彼女の恋愛対象から外されたのだと思いました。
ひどい、そりゃひどい。嗚呼、ひどい。

メルセデス・ベンツに乗っているという組合の書記長さんを
僕が何度か見かけた感じでは、結構人の良さそうな人でしたし、
メルセデス・ベンツも、実は中古の52回ローンかもしれません。
そこの組合に勤めていたちょっと年下のかわいい女の子も、鈍い、というだけで、
別に悪気はなかったのかもしれません。
それに僕が以前勤めていたという、某役所、というのも
あくまで、某、なので、もしかしたらそんな役所は
実在しないのかもしれません。

でも現在の労働組合というものの存在あり方が
実に凝縮して現れているシーンだな、と思ったので
公共性があると判断し、僕は、某役所、の組合の
実態を書いてみたわけです。

何を言いたいのか、と言いますと
メーデーでシュプレヒコールを挙げているような人達も
結構いい暮らしをしているのだな、という事です。
はっきりいって旧来の意味での組合活動というのは、
もう存在意義をなくしているのではないか、と
僕は思ってしまいます。
で、僕のように派遣で宮城県の最低賃金、610円、で
働いているような人達は、何の保護も受けない。
仕事がなくなれば、退職金もないまま、ハイ、さようなら。何かがおかしい。

団塊の世代の人に話を聞いたところでは
そういった組合活動でリッチな暮らしをしている人達を
労働貴族、と言うそうです。労働貴族。

共産主義思想とか社会主義思想というのは
理論の上ではユートピアをうたっても
革命にいたる段階で、権力の集中、を
引き起こすため、結局、労働貴族、が誕生してしまうのかな、と
僕は思ってしまいます。
でも革命を志向しなければ、それは、空想的社会主義、となってしまいます。
北朝鮮やキューバは現在も一応共産主義革命を
志向している事になっているようなので
金日正書記長やカストロ議長は現在も労働服を
着ていたりします。
キューバの実態は情報が少ないので僕はよく分からない
のですが、北朝鮮の金親子の貴族ぶりは
最近日本でもよく知られるようになってきました。

最近、労働組合に若い人達が加入しなくて困る、という話もよく聞きますが、
それもある意味当然で
右肩上がりで給料が上がるわけでもなく
一つの会社に一生勤めるような時代でもないのだから
現在の形の組合に加入しても
若い人達にはあまりメリットはないのではないか、と
僕は思ってしまいます。

でもそういった組合活動も
高度成長期くらいまでは
上手く機能していたはずで
なんとか労働者をこきつかってやろう、とする
資本家ブルジョワ層に対する
カウンター勢力になっていたのだと思います。

村上龍さんの、愛と幻想のファシズム、という小説で
そういった企業側と組合側の戦いが、凄まじい筆力で
描かれていますが、それを読むとほとんと戦争です。

僕が、仙台駅東口新寺にあるその名も、新寺、という飲み屋で、
一部上場企業の役員さんに鉢合わせた時に聞いた話では、
一部上場企業の人事部の人は、みんな労組の突き上げと戦って
胃潰瘍になってしまうので、だいたい手術の後が
お腹に二、三ヶ所はあるのだ、そうです。
なんとも凄い話ですね。
団塊の世代の人達で、企業の側に立っていた人達は
まさに命がけの、企業戦士、だったわけです。

でもそういった話もこれからの日本社会では
聞かなくなっていくのかもしれません。

現在は韓国が、そういったかつて日本の企業社会が
経験した激しい労使対立の状況にあるらしいのですが
組合活動に、甘い、とされるノ・ムヒョン氏が
大統領に就任してから
組合側の要求が企業側に通るようになってしまって
それを嫌気した外国人投資家が
韓国から資金を引き上げたりしているようです。
でもそういった動きが大手企業職員間での
話であるというのは、韓国でも変わらないようで
庶民からは、やはり、労働貴族、と呼ばれたりしているようです。
ちなみにハングルでは、労働貴族、を何と書くのでしょう。

生産手段を握るブルジョワ層と戦うのだという
組合員達の姿も、ほとんどの、庶民、から見た場合
金持ち同士のケンカにしか見えない、というのが
実情なのかもしれません。
韓国ではどうか分かりませんが
僕が、某役所、で見た旧い体質を引きずった組合活動は
実際そんな感じでした。金持ち同士のケンカ。
カール・マルクスが泣いてるぜ。

大手の松下労組がそういった形態の組合活動を
もう辞めます、と宣言したのは
まさに時代の要請なのでしょう。

本当に現在はありとあらゆる分野が過渡期で
何が正しくて何が間違っているのか
分からなくなってしまいます。

現在、道路公団、が、やり玉、に上がっていて
社会の敵、のようにメディアに報道されていますが
そういった様々な公団・公社も
戦後の焼け跡から復興し、高度成長に向かう頃までは
高い理想とモチベーションを持った組織だったのだと
僕は思います。

とりあえず国土が焼け跡になってしまって
何もない状態では、まず道路を引っ張る必要が
あったはずです。
そして国民が必死に預けた郵便貯金を原資とした
財政投融資がそれら国家の大事業を資金面で
上手くサポートしていたのだと思います。

でも哀しいかな、組織というものは
肥大化し、長い間存続していく中で
当初の高い理想とモチベーションをなくし
自己保身しか考えなくなっていってしまうものなのでしょう。
だからこそ先述のリチャード・ブランソン氏や
ビル・ゲイツ氏は、組織が大きくなり過ぎて
顔の見えない集団になってしまったら
分割していけ、と言っているのかも
しれないな、と僕は今思いました。

今、公団の職員です、とか、公社の職員です、と言っても
羨ましがられる事はあっても尊敬される事はないような気がします。
つまり公(おおやけ)の仕事をするはずの組織が
単なる、よい勤め先、となってしまっている。
これはあまりよろしくない事態なのではないか、と
僕は思ってしまいます。

と、松下労組のニュースからズラズラと
文章を書いてきてみて
結局僕は何を言いたいのかといいますと 
労働組合に限らず、現在の日本社会は
そういった金属疲労を抱えて全く機能しなくなってしまった組織ばかりが
溢れていて、若い人達が高い理想と
モチベーションを持って何かを始めようとしても
全く入り込めない状態なのではないか、という事を
言いたいわけであります。






-転換期を迎えた労働組合(完)-



愛と幻想のファシズム〈上〉 (講談社文庫)

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