2003年10月1日水曜日

ゆりかごから墓場までバカ野郎がついて回る 2003.10.X 初出

少子高齢化社会を打開しようとする
アプローチの一つなのだと思いますが
最近、若者よ、もっとセックスしろ! 的
過激な発言をお偉方からよく聞くようになりました。
でもかなり過激な発言です。
若者よ、もっとセックスしろ!

卵のなかみ、でも折に触れて書いてきましたが
現代は余りに若者達にとって、サバイバルの条件が
悪すぎる時代です。
失業問題から社会保障制度の破綻から
狂ったTVCMの悪影響から何から
挙げていったら切りがないくらいです。
責任感あるまともな人間なら、こんな時代に
子供を持ってしっかり育てていけるのだろうか、と
不安になるのが当然の状況です。
結婚している僕の友人が、奥さんが30歳超えちゃったけど
今の(社会)状況じゃ、とても子供なんかつくれないよ、と
ボヤいていましたが、それがほとんどの若い人達の正直な感覚だと思います。

で、先日、某老政治家が、集団強姦事件を起こした学生達を、
元気があっていい、などと持ち上げて物議をかもしていましたが、
要は、その老政治家は、それくらい元気一杯セックスして
少子化問題を解決しろ、という事を言いたかったのでしょう。
でもそれは決定的に間違っています。
強姦を、元気がある、と捉える感覚は
明らかに異常です。
強姦は、刑法で懲役刑とされる立派な犯罪です。
国政に関わる政治家が、その強姦を、元気があっていい、と評する、
というのは、明らかに異常です。
どうなってしまったのだろう、この国は。

そもそも強姦や殺人といった類の犯罪は
法律以前の罪であって
婦女子を力で犯してはならない、というのは
人類普遍のルール、自然法のはずです。
僕は性観念のおかしな民族・部族の話は
たくさん本で読んだことがありますが
強姦を許す民族・部族の話は、まだ聞いた事がありません。
その普遍的罪である、強姦、を
ヤ○ザではなく、国政に関わる政治家先生が
元気があっていい、と持ち上げるのは明らかに異常な感覚です。
他にも少子化委員がAV男優を持ち上げたとか
どうとか、なんて話も聞きますが
ホントにいったいこの国はどうなってしまったのでしょう。
まるで旧約聖書で神に滅ぼされた
ソドムとゴモラの町、の様相を呈してきました。
ホントにもうすぐこの国は滅んでしまうのだろうか。

権力の側は、いわゆる、できちゃった婚、でも
何でもいいからとにかく子供を産め、と言いたいのかもしれませんが、
まともに考えれば、避妊方法の普及した現代社会にあって、
単純に、セックス、を奨励したところで出産・育児にまで繋がるはずがない、と
僕は思うのですがどうなのでしょう。

元人気アイドルが、赤ん坊を抱えたTVCMを
流したりするアプローチも見られますが
そのTVCMを観て、私も早くママになりたい、と
思う人が今時そんなにいるとは思えません。
やらないよりはマシでしょうが。

要は、近代国家というのは時に応じて
生産性に繋がる性を必要とするのだ、という事なのでしょうが、
生産性に繋がる性を国民に定着させたいのであればセックスを奨励するよりも
むしろ中世のキリスト教カトリック的な
生殖以外のセックスは認めません、
マスターベーションもいけません、
避妊禁止、というアプローチの方が有効なのではないかと僕は思います。
でもそれも現実的ではありませんね。
近代国家と個人の性、非常に難しい問題です。

中国でかつて人口爆発が懸念されていた時
俗に、一人っ子政策、と呼ばれる政策が採用されていた
というのは、よく知られるところですが
その政策は人口抑制の効果と同時に
戸籍のない子供達をたくさん発生させてしまいましたし
二人目以降の子供が、いわゆる、間引き、されたりという
とても暗い影を残しました。

お隣り韓国でも、60年代までは出産率6.0人ということで
人口爆発の懸念があったため、避妊法を
普及させたり、政府がキャンペーンを行ったりして
なんとか人口を抑制していたようです。
でも最近になって出生率が1.5人近くまで落ちてしまい
このままでは韓国の生産人口が減ってしまう、という事になったらしく
韓国政府は、なんとか若者達にセックスさせて子供を産ませよう、と
躍起のようです。
今の日本の状況と似ています。

たぶん近代国家が、個人の、性、を管理しようと
するのが間違いなのだ、と僕は思うのですがどうでしょう。
ミッシェル・フーコーという思想家が、その辺を
かなり突っ込んで研究しているのですが
国家が、個人の、性、を管理しようとするから
生産性に結びつかない性を持つ
性的マリノリティーの人々、いわゆる、ゲイ、であるとか、
レズビアン、である人とかが差別を受けるのだ、というのが
フーコーの視点だったように思います。
ちなみにミッシェル・フーコー自身ゲイだったと
言われています。フーコー自身が、個人の、性、に
口出ししてくる国家権力が気にいらなかったわけですね。
三島由紀夫もその気があったと言われています。
残念ながら僕はノーマルなのですが
僕は、近代国家と個人の性、に関しては
産みたい夫婦は産めばいいし、
産みたくない夫婦は産まなければいい、ただそれだけの話だと思います。
人間は厩舎で種付けしている種牡馬とは違うのであります。
近代国家の都合で、セックスしろ、とか、するな、とか
言われる筋合いはないのではないかと思ってしまいます。

政府がどうしても外国人労働者を受け入れる事なく
生産人口を増やしたいのであれば
若い夫婦が子供を産んでも
安心して育てられる社会設計をすべきです。
そうすれば生産人口は自然に増えると思います。

そういった本質的な部分はおざなりにしておいて
若者よ、もっとセックスしろ! 的なことを言うのは
ズレているし、間違っていると思います。
はっきり言って余計なお世話であります。
まして集団強姦事件を起こした重罪人達を
元気があってよろしい、などと持ち上げたりする感覚は
どう考えても異常です。
ホントにいったいどうなっているのだろう、この国は。

その老政治家は、日本人が一丸になって
国家の近代化に取り組んでいた時期を
イメージしているのでしょうが、もう完全にズレています。
国民はもうそんなに無知ではありません。
子供をたくさん産んで少子化問題解決に寄与した夫婦は
政府から表彰されるのとでも言うのでしょうか。
その政府はきっと、時代状況が変われば
今度は、あまり産みすぎるなよ、と言うのです。
それが近代国家と個人の性の問題の
本質なのでしょう。

僕は今やっとブルーハーツという
80年代に一世を風靡したパンクバンドが
千のバイオリン、という曲で伝えようと
していた事が分かりました。
その曲の中に、こんな一説がありました。

ゆりかごから墓場まで、バカ野郎がついて回る。

政府が国家の都合で、個人に対して
もっとセックスしろ、と言ってみたり
セックスするな、と言ってみたりする。

全くブルーハーツの言う通り
ゆりかごから墓場まで
バカ野郎がついて回るのであります。



-ゆりかごから墓場までバカ野郎がついて回るー

フーコー入門 (ちくま新書)