2003年8月1日金曜日

学問のすすめ-社説の命令調はおかしい- 2003.8.X 初出

というわけで福沢諭吉の、学問のすすめ、を読み終えたところ、
タイミングよく新札発行のニュースが飛びこんできたのです。

千円札は夏目漱石から野口英世へ
五千円札は新渡戸稲造から樋口一葉へ
一万円札は福沢諭吉で続投との事です。
なぜ福沢諭吉だけ続投なのだ!
という声が聞こえてきそうですが、何故なのだろう。
それは現内閣の小泉首相と塩爺が慶応義塾大学出身で
慶応義塾の創始者である福沢諭吉に便宜を計ったのではないか! と
勘繰ってみたくなりますが
ホントになぜ諭吉さんだけ続投なのだろう……。

閑話休題。
というわけでちょうど今福沢諭吉の、学問のすすめ、を
読み終えたのですが
明治の近代化の時期に大活躍した慶応義塾の創始者でもある福沢諭吉。
彼の主著とも言える、学問のすすめ、は
出版当時たいへんなベストセラーになったとの事です。
僕が読んでみたところでは
学問のすすめ、というタイトル通り
福沢諭吉が手を替え品を替え何度も
これからは学問をして身を立てる時代になりますよ、と
庶民、に説いている本です。
庶民、に、学問、をすすめています。
まさに学問をすすめている。
学問のすすめです。
どうしてこういった本が当時大ベストセラーに
なったのか、と想像してみると
出版当時、つまり明治の近代化の時期は
士、農、工、商の身分制でやっていた徳川300年体制が
崩れてしまって、西洋に対抗できる近代国家を
急いで作らなければ、日本は大変なことになってしまう、
このままでは西洋の食い物にされてしまうという、という大変な危機感が
インテリ層にはあったのだと思います。
そう、インテリ層、には危機感があった。
江戸から明治への近代化の時期には
庶民、とはケタ違いの情報をもった、インテリ層、というのが存在したわけです。
就労人口のほとんどが農民だった時代に
学識もあり、かつ西洋を始めとした海外経験もあり
その事情にも詳しいという、インテリ層、は
文字通り、先生、だったのだと思います。先生。
先生と庶民。
庶民と先生。
そして世界中で文盲(読み書きできない人)が
多かった中世において、日本は江戸時代の
寺子屋文化で当時としては驚異的と言えるレベルまで
識字率を高めていたということもあって
学問のすすめ、を始めとする、先生、方の
メッセージを、庶民、がよく吸収し
近代国家日本の体裁を整えて西洋に対抗できる形を作った。
現在の近代国家日本の繁栄があるのは
福沢諭吉を始めとする
江戸から明治期にかけて活躍した
インテリ先生方のおかげである、とも言えそうです。
下手すれば日本は西洋の食い物にされていた。
福沢諭吉はやはり偉い。
一万円札続投も納得です。

で、その日本を近代化させる上で
重要な役割を果たしてきたインテリ先生と優秀な庶民との
コラボレーションによる連携プレー。
そういった構図は三島由紀夫で終わったと言われています。
つまりインテリ先生がメッセージを発して
庶民がそれを学ぶ、という近代化途上の
構図は三島由紀夫で終わってしまった。
もっと言えば1970年代に終わった。
もっともっと言えば、物書きが先生だった時代は
1970年代で終わってしまったという事です。

では1970年代以後、つまり高度成長以後
日本社会にはどういった変化があったのか。
まず年々短大や大学などの
高等教育機関へ進む人が増えて
社会人の4割、5割が学士という状況にまで至りました。
大学院生もごろごろいます。
地方都市にも丸善や紀伊国屋のような大きな書店ができました。
年間1000万人を超える海外旅行者もいます。
つまり1970年代以後、庶民、はもうそんなに無知では
なくなったという事です。
福沢諭吉に代表される江戸から明治の近代化の時期
或いは三島由紀夫の1970年代まではあった
インテリ先生、と、庶民、という構図はもうないと
いう事です。
もう、庶民、はそんなに無知ではない。
そして90年代後半からインターネットが爆発し
無知ではなくなった庶民がメッセージを発し始めました。

で、社説の命令調はおかしい、という話になるわけですが、
各新聞社の社説はたいてい、こうせよ、ああせよ、と命令調で書かれています。
インテリ先生と庶民という構図がなくなってしまった時代にいったい誰に
命令をしているのだろう、と僕は不思議に思ってしまいますが
それは各新聞社が、インテリ先生がメッセージを発して
庶民がそれを学ぶ、という、学問のすすめ、的発想から
抜け切れていないという事なのだと思います。
インテリ先生と庶民という構図は三島由紀夫の1970年代で終わってしまって、
もうインテリ先生に命令されて生き方を変えるほど、庶民、は無知では
ないのに新聞の社説はいつも誰かに命令している。
新聞がある程度信頼のおける
情報を提供する媒体であることは
今後も変わらないにしても
もう、庶民、に命令できるほど偉くはないのではないか、と思ってしまいます。
でも社説を読むといつも誰かに命令している。
そういった構図もここ10年くらいで
変わっていくような気がします。

僕が文学のいろはを叩き込まれた
某文芸喫茶が青葉区の二日町にあるのですが
若く生意気だった僕はよく
そこのマスターに、読者を畏れながら書け、と
怒られました。
物書きを目指して何百冊と本を読んで
何千枚と原稿を書いていると
どうしても自分が、インテリ先生、になった気がしてくる。
でも実はそんな事はなくて
読者には、書く力、がないというだけで
それは声なき読者が、無知、であるというわけでは
ないのだという事。
読者は絶対自分よりもものを知っていると
思って書いた方がよいのだ、という事。
つまり、読者を畏れながら書け、という話。
大変よい話です。
僕は新聞の社説を書いている人にも
その話を聞かせてあげたいです。

というわけで僕は
こうせよ、とか、ああせよ、という命令調では
なるべく書かないように心がけています。
僕はこう思いました、ああ思いました、と書いて
読者がそうだと思えば吸収してくれるし
そうだと思わなければ、阿保な奴だな、と思う。
ただそれだけの事。

若い頃は誰もが不安で
あまり、色、もついていないので
ああせよ、とか、こうせよ、と
命令してくれるメッセージを欲しがったりしますし
現代のように社会が混乱している時代は
偉い人に命令してもらいたくなってしまいます。
でもそれがファシズム、全体主義への第一歩。
思考停止してしまうのが一番危険です。
政治体制がおかしくなり始めると
マスメディアが体制翼賛的になってみんなもっていかれる、というのは歴史が
証明するところです。
つまり、ああでもない、こうでもない、と
ウジウジ、モジモジとしていれば
少なくとも独裁者は生まれないはずだ、という事です。
文学の役割はその辺にあるのかな、と思ったりします。
ウジウジ、モジモジ……ああでもない、こうでもない。

夏目漱石の晩年の手記を読んでみると
死んだらどうなるのだろう、あの世の世界は
どうなっているのだろう、と想像してみたり
或いは、若かりし日の思い出を振り返ってみたり、と
病の床に倒れながらも夏目漱石はまだウジウジ、モジモジ……と
書き続けています。
そこには、ただの人漱石、の姿があります。
ウジウジ、モジモジ……ああでもない、こうでもない。
それって結構大切なのかもしれません。



学問のすすめ-社説の命令調はおかしい-



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私の個人主義ほか (中公クラシックス)