2004年3月1日月曜日

プロ野球と日本のプロ野球(5)日本式 2004.3.X 初出

かつては、日本のスポーツ関係者が
中国へ指導員として招かれたりすると
先生、日本式でやって下さい、などと言われたようです。
日本式、つまり、精神論に基づいて
シゴキ、をやって下さい、という意味です。

僕もバスケットボールに励んでいた頃は
日本式、で、鬼コーチに
殴れたり、蹴られたり、罵倒されたり、と
さんざんな目に遭いました。

僕が中学生くらいまでは
まだ、人権、という意識が浸透していなかったので
スポーツの強豪校で
コーチや監督が選手を殴っている、などというのは
常識中の常識、だったのであります。

人権概念、が少し浸透してきてからは
さすがに、試合会場で殴るのはマズイ、という事に
なってきたのですが
そうなると今度は、ロッカールームで監督が選手を殴る、ように
なってしまい、ハーフタイムを終えると
後半から鼻血を出している選手などもいたものです。
ずいぶん、長閑(のどか)と言えば長閑、雑といえば雑な
時代だったわけです。

僕も、30発以上の張り手と
10発以上の蹴りを入れられた挙句
バスケットボールを投げつけられたり
したことがありましたが
僕は人権侵害を受けたのでしょうか。
たぶん、そうなのかもしれません。
今ならきっとその鬼コーチは、懲戒免職、です。

ただ難しいもので、悲惨な経験も
時の経過と共に
その人のアイデンティティーを構成する一部と
なってしまう、という傾向があったりします。

ああ、野麦峠、という
日本の近代化途上における、女工哀史もの、の代表作を
読んでみたところでは
製糸工場で大変な重労働を強いられた過去を持つ
おばあさん達が、過酷な日々を
甘美な思い出のように話す、とありました。

やはりドップラー効果なのかもしれません。
時の遠近法、パースペクティブ。
遠ざかる日々はより美しく見えるのでしょう。

子供の人権条約、のためか
僕が中学に入った頃から、人権、人権、と騒がれるように
なりましたが、子供の人権、というのは
おそらく、児童虐待、や、児童買春、を防ぐための
ものだったように思います。
当時の日本社会では時期尚早だったのかもしれません。
でも現在は、ちょっと笑えない状況になってきました。
親が子供を死ぬまで殴る、なんていう話も
よく聞くようになってきました。

いったい何なのだろう。
かつては、人権、などという言葉がなくても
日本では安全と水と空気は無料だったのに
必死に頑張って西洋に追いついてみたら
人権、に基づいて公権力が民事に介入しなければ
ならない状況になってしまいました。
それはもしかしたら西洋近代というシステムに
根本的矛盾があるのではないだろうか、と
思ってしまいます。

欧米の猿真似ではなく
日本近代、を打ち出した方がよいのかも
しれませんが、黒い雨、によって
日本近代は壊されてしまいました。

でもやはり、人権、という概念は
大切かもしれません。
暴力は連鎖して、シゴかれた人は
たいていシゴキますし
先輩に苛められた人は
たいてい後輩をイジメます。
それに取り返しのつかないトラウマを
抱えてしまう人もいます。
僕も殴られた経験を思い出すのは
あまり嬉しくないものであります。


-プロ野球と日本のプロ野球(6)へ続く-
http://digifactory-neo.blogspot.jp/2012/09/620043.html




あゝ野麦峠―ある製糸工女哀史 (角川文庫)