2004年3月1日月曜日

プロ野球と日本のプロ野球(6)俺流 2004.3.X 初出

今シーズンから、中日の監督に
就任した落合博光監督は
現役時代、所謂、自主トレ、ばかりして
いるので、俺流、などと呼ばれて
異端視されていました。

三冠王、という結果を残していたから
俺流、も許されていたのでしょうが
やはり1940年体制下の日本社会は
個人が潰されるシステムだったのだな、と
思ってしまいます。

俺流、が、異端視、されなくなるまで
現在の混乱は続くのかもしれません。

日本社会のスタンダードが
どんどんアングロサクソン化して
共産主義の砦、ソビエト連邦が崩壊し
高級官僚主導による護送船団方式が終わり
集団主義による結果の平等から
個人主義による機会の平等へと
社会の基本的な価値観が変わり始めると
自主トレ、も、俺流、も死語になるかもしれません。

でもこれが困った事に
日本人が一丸になって何かに向かう
戦争へ、或いは、経済戦争へ、という
1940体制は、文字通り60年以上続いたわけで
日本社会では、全ての努力が、日本のために
行われなくてはならない、という前提があります。
つまり、多くの人が、自分のために努力する、という事に
慣れていないわけです。
個人的に努力すると、自主トレ、になってしまい
俺流、になってしまいます。

スポーツに限らず、これからは
ほとんどの社会人が、個人的に
キャリアデザインを行って
いわば、俺流、に生きなくては
ならなくなるわけですが
これは大変な事だな、と思ってしまいます。
ちょっと前まで、俺流、は
異端、だったわけです。

最近、社会人の多くから
サラリーマンと呼ばないで
ビジネスマンと呼んでくれ、という声が
上がっているようですが
サラリーマン、より
ビジネスマン、の方が
何となく、俺流、な感じがします。

サラリーマンとビジネスマンの違いは
要は、給料を貰ってから働くのが、サラリーマン、で
働いてから給料を貰うのが、ビジネスマン、のように
思います。
微妙な違いですが、ビジネスマン、は、仕事を作る人、で
あって、サラリーマンは、その発生した仕事によって
サラリーを貰う人、なのでしょう。

ちなみにサラリーの語源は、古代ローマで
兵士に塩を買うためのお金を出したことに
由来するようです。
日本でも、敵に塩を送る、の故事がありますが
人体は塩を切らしたら持ちません。

要は、みんなと一緒、であれ
俺流、であれ、サラリーマン、であれ
ビジネスマン、であれ
ローマの兵士、であれ
いつの時代でも
人間は生存に最低限必要なものを
何とかして得なくてはならないという事なのだと
思います。



-プロ野球と日本のプロ野球(7)へ続く-
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