2004年3月1日月曜日

プロ野球と日本のプロ野球(4)1985年 2004.3.X 初出

前回は、日本の精神性、と、アメリカの合理性、の
話だったわけですが
ただ、かつてアメリカが最も恐れたのは
その、日本の精神性、だったというのは
間違いないと思います。
合理的に物事を考える人間にとって
非合理な、気合、や、叫び、は
恐ろしいものです。

GHQは、戦後、武道における
気合、や、叫び、を禁じたようです。
そして、日本書紀、古事記、といった
日本成立の物語を教育現場から
追放するという、記紀追放、を行い
3S(セックス、スポーツ、スクリーン)政策によって
日本人の精神を軟弱化させようとしたわけです。
完璧だな、と思ってしまいます。

もうほとんどの日本人は
かつての意味での、日本人、ではなくなってしまった
ように思います。
70年代を境に、日本人は~、という主語が
機能しなくなっていったのも
よく分かるような気がします。

三島由紀夫の自衛隊基地での割腹自殺が、1970年。
村上龍さんの米軍基地の街を舞台とした
限りなく透明に近いブルー、が1976年です。
1970年代を境として
小説の舞台が、自衛隊の基地から
米軍基地の街へ移ってしまったわけです。

アメリカの占領政策は、1945年から
約30年後に結実したわけです。
30年を1ゼネレーションと考えると
ドンピシャリです。
見事にやられた、という感じがします。

そして終戦から40年後の、1985年。
ブルーハーツ、がデビューします。

1985、国籍不明の
1985、飛行機が飛んだ
風を砕くのは、銀色のボディー
謎のイニシャルは、誰かの名前

僕達がまだ生まれてなかった
40年前、戦争に負けた
そして、この島は歴史に残った
放射能に汚染された島

そしてブルーハーツのデビューから
さらに20年近く経とうとしています。
そうなると、敗戦から60年近く
つまり、2ゼネレーションが立つわけです。
アメリカ合衆国は、完全に日本を封じ込めて
しまったのだなと思います。

日本はアメリカに溶けてしまった、という
映画監督もいましたし
日本はアメリカ合衆国の51番目の州、とさえいう人も
います。
そして経済システムも
ついにアメリカ型に移行しようとしています。

イギリスやアメリカという
アングロサクソン型の人達は
言わば、支配の天才、で
旧植民地からも意外と好意的に見られていたりします。
アメリカ自体が、かつてイギリスから
独立した国だったりします。
でも、1985、求めちゃいけない、のであります。
甘い口づけは。

黒い雨が降る、死にかけた街で
何をかけようか、ジュークボックスで
1985、今、この空は
神様も住めない
そして、海まで山分けにするのか
誰がつくった物でもないのに

黒い雨、つまり文豪井伏鱒二が、黒い雨、という
小説で描いたところの、一般市民への無差別爆撃
どころか、一つの街を、一瞬の、ピカドン、で
壊滅させてしまうような、非人道的、な事を
しておきながら、全く反省せずに
他国を、ならず者国家、などと非難して
案外平気なのがアメリカ合衆国の特徴かも
しれません。
2004年3月現在、イラクはどうしようもない
状況になってしまったようですが
アメリカ政府は、イラクに自由をもたらした、と
豪語してやみません。

マキャベリ、という思想史に残る政治思想家は
君主論、において

ある国を奪い取る時には、征服者は
とうぜんやるべき加害行為を、決然と
一気呵成に行い、後は蒸し返さない事だ。
そして恩恵を小出しに行う事で
民心を得ていけ。

と教えています。
こういった身も蓋もないワルな支配の仕方を
マキャベリの名にちなんで、マキャベリズム、と
言ったりしますが、アメリカ合衆国、というか
アングロサクソン型の民族は
本質的に、マキャベリスト、なのかもしれません。
日本人というのは、どちらかと言うと
お人好しな民族なのか、マキャベリスト、に
成りきれず、良心の呵責に苛まれて
グズグズモジモジ、としているから
アジア諸国に嫌われてしまうのかな、と
思ってしまいます。
女に張り手を食らわせてから
甘い口付けをする、ジゴロのような男、が
マキャベリ的君主、或いは、覇権国、には
相応しいのかもしれません。でも

1985、求めちゃいけない、のであります。
甘い口付けは。

1985年と言えば、バブル経済へ
つまり、明るさの全体主義、に
まさに突入しようという時代です。
俺たちひょうきん族、という番組では
さんまさんが、1985年の何ですか、という曲と
ともに、ナンですかマン、というネタをやって
いました。
本当に、ナンですか、な年だったわけですが
水面下では、ドル高是正のための、プラザ合意、が
ありました。
このアメリカ経済のために円高ドル安へ誘導しましょう
という、プラザ合意、によって
土地バブル、製造業の海外移転、という
その後の流れができてしまったのかもしれません。

1985、選挙ポスターも
1985、あてにはならない

と、ブルーハーツも、1985、という曲の中で
歌っていました。
本当にバブルの頃は
選挙ポスターなどあてにはなりませんでした。
そういった対米追従の政策決定過程の全てを
革新官僚、の流れを組む
霞ヶ関の高級官僚達が取り仕切っていたわけです。

僕たちを縛り付けて
一人ぼっちにさせようとした
全ての大人に感謝します。
1985年、日本代表ブルーハーツ

と、甲本ヒロトさんは当時叫んでいましたが
僕たちを縛り付けて一人ぼっちにさせようとした
全ての大人、というのは
戦後の日本を動かしてきた
巨大な官僚機構の事だったのかもしれません。

終戦から40年後の、1985年当時
ブルーハーツは日本代表に相応しい
バンドだったように思ってしまいます。



-プロ野球と日本のプロ野球(5)へ続く-
http://digifactory-neo.blogspot.com/2004/03/520043.html
黒い雨 (新潮文庫)

君主論 (中公クラシックス)