2004年3月1日月曜日

プロ野球と日本のプロ野球(8)あ、騙された! 2004.3.X 初出

と、ツラツラと8回に渡って
ずいぶんと長いエッセイを書いてきたわけですが
自主トレ、も、俺流、も、勉強、も
死語になるかもしれません、という話なのです。

要は、集団主義による結果の平等社会から
個人主義による機会の平等へと移行し始めている
ということなのですが
僕も含めて多くの日本人は
今までずっと、1940体制以来、60年近く
集団主義に対応するための教育や刷り込みを
受けてきているので
脳内のリストラを行っていくのは
大変なことだな、と思ってしまうのです。
あ、騙された! という意識の人は
かなり多いかと思います。

そんなの分かっているよ、という
懸命なる読者の方もおられるかもしれませんが
何かに騙された、という感覚を
持っている日本人が大半のように
思ってしまいます。

いい大学に入れ、なるべく大きな会社に入れ
真面目にさえやっていれば何とかなるから
一つの会社に長く勤めないと履歴書が汚れる
努力と根性で、みんなと一緒に人並みに
個人的に何かしようなんて考えないで
社会の敷いたレールに乗ってれば
世間様をお騒がせして……etc.

ちょっと前まで、常識、だったこれらの概念が
全て、嘘、に近くなってきています。

僕自身は、大学生の頃に
山一證券が破綻したニュースを見て
あ、騙された、と気がつきました。
高級官僚主導による、護送船団方式、が
限界を迎えた瞬間でした。

当時は、就職活動、というよりも、就社活動、が
常識でしたが、就社活動を間近に控えた僕は
山一證券破綻、というビッグニュースが飛び込み
仙台でも、紱陽シティ銀行、が破綻したりして
あれ、おかしいぞ、と思いました。
そしていわゆる、内定、していた学生達に
内定取り消し、の通知が来たりして
あ、騙された、と感じたわけです。

当時は、終身雇用、の幻想がまだあって
就職活動、というよりも、就社活動、の意識が
ほとんどの人にあったので
一部上場企業の破綻、であるとか
内定した会社が入社前に倒産する、なんていうのは
ちょっと考えられないことでした。
大学も会社も入るまでが勝負、な世界だったので
合格体験記、やら、内定体験記、のような
冊子が高校や大学で配られていたようにも思います。

大学も会社も入るまでが勝負
入ってしまえば後は
俺は~大卒だ、俺は~会社の~部長だ
おお、凄い、という刷り込みをずっと
受けてきたので
あれ、おかしいぞ、と思った人は
同世代にかなり多かったと思います。

そういった意識から脳内のリストラを行い
軌道修正するまで僕自身結構とまどって
しまったので
こうしてウツラウツラと書いているエッセイが
同じ、あ、騙された! という思いを
抱えている方に、少しはお役に立てれば、と思うわけです。

おそらくスポーツ選手だけに限らなくて
これからは多くの人が、俺流、私流、僕流、で
自分のキャリアデザインを行わなくては
ならない社会になるのでしょうが
何事も計画通りに進むものではありませんので
最低限のセーフティーネットは必要だろうなと
思ってしまいます。
でもこれがまた困ったことに、政府にはもう金がないので
セーフティーネットも削られ始めています。

義理・人情であるとか、宗教的ボランティアであるとか
近所のおばさん、が、かつては
無償のセーフティーネット、として機能していたのでしょうが
近代化・都市化・西洋化した現代の日本社会では
そういった無償のセーフティーネットは
なんだか、胡散臭いもの、のように思われてしまいます。
そうなるときっと、NPOの出番、となるのでしょう。
大きな政府から小さな政府への流れは不可避なので
NPO的に市民の自発的活力を
社会の中に取り込んでいくしかないのだろうなと
思ってしまいますが
これまた社会主義的システムの下で
刷り込みが長く行われてきたので
下からの活力、というものが
中々出てこなかったりします。
お上がなんとかしてくれる、という意識も
早く消し去らないといけないように思ってしまいます。

共産主義的な計画経済というのは
やはり基本的に人間を飼い殺すシステムなのだなと
思ってしまいます。
集団主義による結果の平等社会では
個人の自発的努力は必要とされません。
むしろ計画経済の、邪魔、になります。
社会(主義)が敷いたレール、では
市民なり個人の自発的な活力、が
不良、になってしまいます。
まさに悪平等。

ちなみに人類史で共産主義が成功したのは
イスラエルのキブツ、と、戦後の日本経済だけだと
言われたりします。
人類史上、神によって土地を
約束されたのは、日本人とユダヤ人だけのようですが
やはりそういった形而上学的保障の下にしか
共産主義も成功しないことを考えると
北朝鮮が金総書記を、神格化、したり
ソビエト連邦がスターリンを、神格化、していたのも
分かるように思ってしまいます。

でもその、唯一成功した社会主義、と揶揄される
日本経済も、計画経済的システムが行き詰まり
集団主義による結果の平等社会から
個人主義による機会の平等社会に
変化することを求められています。
果たしてこの大変化に日本社会は
耐えられるのだろうか、と思ってしまいます。
訳の分からない事件、の発生頻度は
一年に一度、三ヶ月に一度
一ヶ月に一度、一週間に一度
三日に一度、と加速しています。

チャップリンならきっと
現代の日本社会の混乱を
ポストモダンタイムス、として
映画に撮ったことでしょう。

というわけで
プロ野球の話はどこへ行ったのだ、という事に
なるわけですが
これぞ、ポストモダンなエッセイ、なので
あります。



-プロ野球と日本のプロ野球(完)-