2003年11月1日土曜日

7%理論(4)コミュニケーションの危機 2003.11.X 初出

先日のニュースで
日本シリーズのTV視聴率が
九州と関西で40%超! という
非常に苦しい記事がありました。

九州と関西で、と区切っているところが
非常に苦しいわけです。
ほんのちょっと前までは
九州と関西で、と区切る必要はなかったわけです。
視聴率40%超! とやれば

どうだ、日本人の半分近くが見たんだぞ、
どうだ、凄いだろ
おらおら、これを見ないと、非国民、扱いされちゃうぞ
このネタは絶対外せないよ
視聴率40%超!

と、できたわけです。

でも、九州と関西で40%超、と区切っているという事は
四国と東北では15パーセントかもしれません。
北海道では、10パーセントを切っているかも
しれません。となると、仙台に住んでいる僕としては
別に見なくていいのかな、となってしまいます。

もう、日本人全て、を相手にした
マス・マーケティングは成立しないだろうし
黄金の7%理論も通用しないだろうし
90年代のようなメガヒットも出てこないのでしょう。
最近何度か、このエッセイで書いていますが
これはやはり、明治以来の画一的中央集権化の
流れの終焉、なのかもしれません。
これは大変な事です。

何が大変か、と言えば
日本人の基本的なコミュニケーション方法が
変わってしまうからです。

僕が学生の頃は、若者達の新しいスポーツ!
スノーボード! 今一番イケてるスノーボード!
というメガヒットが仕掛けられていたので
スノーボードが、新し物好きの若者達のまず7%にまで
普及し、当時僕の交友関係にあった
13~14人の友人達の中にも
スキー派よりもボード派が増え始め
そろそろデカいのが来るな……あ、やばい、と
思った僕は、急いで友人から
中古のスノーボードを譲ってもらい
夏油(げとう)高原スキー場や
泉が岳に出かけて、今一番イケてる若者、してたのですが、
そういったコミュニケーションが
成立しなくなっていくのです。

僕はボードを覚えたおかげで、学生時代
バイト先で初対面の同世代の人に会っても
この前行ったボードの話、を持ち出す事で
とりあえずの円滑なコミュニケーションを
計ることができましたが
7%理論の崩壊、メガヒットの終焉で
そういったコミュニケーションが成立しなく
なっていくのです。
これは大変なことです。

今これが流行ですよ、とか
今もっともこれがイケてますよ、という
情報は、明らかに減り始めています。
既に見てきたように、7%理論の崩壊で
もうメガヒットは出てきそうにありません。

お父さんのためのワイドショー講座、で
ワイドショーネタを仕入れて
J―POPのランキングからカラオケで使えそうな
曲を覚えおいて、今時こうだよね、俺たちみんな
普通の日本人だもんね、こんなんも知らないのは
やばいよね、といった形で一体感を確認する、という
コミュニケーションがこれから成立しにくく
なっていくのです。
これは大変なことです。
誤解されると困りますが、僕はそういった
コミュニケーションが、人として劣っている、とか
下らない、と高をくくっているわけではありません。
僕はカラオケは好きではありませんが、かなり上手いです。
ボードもそんなに好きではありませんが
それなりに上手いのです。
ただそういったコミュニケーションが通用しない場面が
どんどん増えていくことは大変なことだな、という事を
言いたいわけです。

こういった7%理論崩壊後の世界で
発狂することなく、自分のアイデンティーを
確立していくためには、きっと、個人的趣味、を
持たなければならないのだと思うのですが
これが悩ましいことに、ほとんどの日本人は
1940年体制以来、60年以上集団主義で
やってきているので、
個人的趣味、を持とうとすると
マジョリティ(多数派)の側から
オタク、とか、マニア、と馬鹿にされるのではないか
という不安感を抱えていたりします。

そういったコミュニケーションの不全感に堪えられず
もっとみんなで盛り上がれるような
分かりやすい物語を提供してほしい、という層が増えていけばきっと、
ファシズム、全体主義、が生まれるのでしょう。
でもこれまた悩ましい事に、権力の側が、大手メディアを使って、
ファシズム、全体主義、に持って行こうとしても、
その大手メディアを支える7%理論が通用しなくなってきているのです。
テレビがない時代には、五人組、と呼ばれる
隣近所の監視装置を利用して権力の側が全体主義に
持っていこうとしたようですが、現在は隣近所も崩壊しています。
僕は隣りに誰が住んでいるのか知りません。
一つファシズムの方法として考えられるのは
公権力がインターネットの言論空間に介入することですが、
困ったことに、インターネットは、
WWW(ワールドワイドウェブ)なのです。
つまり国境を越えて世界中の人が見ているわけです。
自由で民主的な国家であるはずの日本政府が
インターネット上の言論空間に介入することは
できないのです。

僕はマスメディアの振りまく情報から
うまい事逃げ回って生き延びてきたので
いいのですが、みんな一緒だよね、でしか
コミュニケーションできなくなってしまった人達は
大変なストレスを抱えているはずです。
そのやり場のないストレスが
訳の分からない事件となって
頻発しているような気がします。

そういった事件を目にして
パソコンやデジタル機器のせいで
最近の若者達のコミュニケーション能力が
落ちている、と嘆く年配の方もいますが 
別の視点として、インターネットやデジタル機器で
大手メディアの7%理論が崩壊してしまって
みんな一緒だよね、と確認できるネタが
どんどん減ってきているので
昔よりずっとコミュニケーションが難しくなって
きている、とも捉える事ができるのではないかと
思ったりします。
むしろ、昨日の巨人がさ、といった形でしか
コミュニケーションできない年配の方々の方が
総じてコミュニケーション能力は低いのではないか、と
さえ僕は思ったりします。
それにあと10年もすれば、最近の若い人達は、とか
年配の方々は、という形でのコミュニケーションも
若い人達や年配の方々が多様化していくだろうと
考えられるので、成立しなくなっていくのでしょう。
世代論もそのうち意味をなさなくなるでしょう。
これはコミュニケーションの危機です。
日本中で、話通じねえよ、という悲鳴が
上がっているような気がします。

これからはおそらく、ワイドショーネタや
日本シリーズや、スノーボードや、カラオケなどで
一緒だよね、と確認しならがらコミュニケーションを
始めるのではなく、あなたと私は、お互い尊重すべき
人格を持った存在ですよね、私は~が好きですが
あなたは何が好きですか、といった大変遠まわしな
コミュニケーションになっていくのだと思います。

私とあなたは、お互い尊重すべき人格を持った
存在ですよね、私は~が好きですけど
あなたは何が好きですか、といった形の
コミュニケーションは、みんな一緒だよね、といった
ところから始まるコミュニケーションよりも
非常に疲れますが、それ以外にないような気がします。

だってもう、黄金の7%理論、は
通用しないのですから。



-7%理論(完)-



 


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