2003年11月1日土曜日

土地の持つ力(4)仙台北山 2003.11.X 初出

と、ズラズラと、土地の持つ力、について
考察してきてみたわけですが
僕が今住んでいる仙台の北山という土地は
どうなのだろう。

インターネットがどんどん世界のプレイスレス化を
進めて行っても、土地の持つ力、は残る
という事を考えると、僕はやはり
仙台市青葉区北山という土地の力を
マックスまで引き出して書いていくしかないわけです。

要は土地や人間からかけ離れた
客観的文章、なるものは存在しないと
いうことなのだと思ってしまいます。

最近は大手新聞社でも
記者の署名入りの文章が増えてきました。
事実の伝達意外の文章は、基本的に署名入りが
望ましいと僕も思います。
いくら、客観的、に書こうとしても
文章にはどうしても、主観、が入ります。
その、主観、を、バイアス、と言ったりしますが
それが、偏見、や、色眼鏡、にまで至ってしまう事が
あるので、この記事はあくまで~という記者の
主観、によるものですよ、という意味での
署名入り記事は望ましいと思ってしまいます。
そうすれば大新聞の名に隠れて
勝手な記事を書いたりする事ができにくくなる
からです。

ただ、匿名性、或いは、取材源の秘匿、という
原則のもとでしか掲載できない類の事件も
あるとは思います。
記者の身に危険が及ぶような事件もあるでしょうから
全て署名で、とは言いませんが、事実の伝達以外の
文章は、なるべく署名入りが望ましいと
僕は思ってしまいます。

僕の場合は最近、アメリカ政府に対する不信感、という
バイアス、がかかっています。
だからどんな事を書いても、どうしても、反米的、に
なってしまいます。それは自覚していますので
問題はないと思います。
つまり自分の、バイアス、を自覚できていれば
偏見、や、色眼鏡、にまでは至らないと思うのです。
一世代前のフェミニストは、男女差別、という、バイアス、が、
何でもかんでも男女平等じゃなきゃいけないのだ、という、
偏見、色眼鏡、にまで至ってしまっていました。
当時は著しく女性に不利な社会構造だったのだから
それも仕方がなかったのかもしれませんが
男女差別が、偏見、や、色眼鏡、にまで至った時点で
フェミニズムは同性である女性の側からも
相手にされなくなったような気がします。
人間なのだから、自分の育ちや環境で
多少、バイアス、がかかってしまうのは
仕方がないと思いますが、偏見、や、色眼鏡、にまで
至ってはいけないような気がします。
そして、偏見、や、色眼鏡、を持っている人に
限って、それが、偏見、や、色眼鏡、だと
気がついていなかったりします。
偏見、や、色眼鏡、を上手く言い表した

坊主憎けりゃ、袈裟まで憎い

という諺(ことわざ)があります。
僕は最近、諺(ことわざ)、はすごいと思うのです。
諺は、人間の普遍的な心理を鋭くついているわけです。
そして多くの人がいろんな状況で
その言葉を口づさんできたので、諺、になっているわけです。
僕も、アメリカ政府に対する不信感、が
アメリカ人に対する不信感、にまで
至らないように気をつけなくてはいけません。
つまり、坊主憎けりゃ、袈裟まで憎い、となっては
いけないと思うのであります。
アメリカ人にも素晴らしい人はたくさんいます。

と、少々話が逸れてしまいましたが
ここ仙台市青葉区北山は
やたら神社・仏閣が多い場所です。
国家神道成立以前の、神仏習合、をさぐるなら
これ以上ない場所のような気がします。
たぶん伊達藩政の時代から、北山、は
神仏習合、の土地だったのだと思います。

仁王様も狛犬さんも地蔵様も
釈迦像も、本を読んでいて
気になったら歩いて三分で見に行けるのです。
僕は宗教のことを考えていて
知的障害者の存在に行き着いたのですが
仙台の中心部には、その知的障害者だったと
される仙台四郎さんを、神さま、として祭る
三瀧山不動院もあります。
ここも僕が見たところでは、神仏習合、の名残が
残っています。
明治政府の役人から上手く逃げ延びて
神仏習合、の信仰形態を残している場所は
あまり多くないと思います。
そう考えると、恵まれているな、と思ってしまいます。
それと仙台七夕祭り。
乙女チックな僕は、ベガとアルタイル
織姫と彦星の話がとても気になって
います。これも小説に取り込みたいところです。
たぶん、ベガルタ仙台、の由来は
ベガとアルタイルから来ているのでしょう。
僕は今のところ、仙台市青葉区北山という土地に
完全に感化されているわけです。

沖縄考、にも書きましたが
僕は沖縄の巨大な米軍基地を観て
すぐに、日本はアメリカの基地だ、と
分かりました。
そういった、土地の感化力、は絶対あります。

どういうわけか……広い宇宙の数ある一つ
蒼い地球の広い世界で
2003年5月
なぜか僕は大場理史という器に入り
ここ仙台の北山に住んでいます。
そしてどういうわけか
小説家を目指しています。
そしてまたどういうわけか
今回仙台インターネットマガジンに
連載することになりました。
みなさん宜しくお願い致します。

卵のなかみ、はそこから出発しているわけです。
土地や人間からかけ離れた、客観的文章、なるものは
存在しないような気がする。
♂♀生・性・聖そしてその土地の風土が
文化を決定ずけるのだ、と思ってしまいます。






-土地の持つ力(完)-





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