2003年10月1日水曜日

ドン・キホーテ(2) 2003.10.X 初出

仙台では今のところディスカウントストア、ドン・キホーテを見かけませんが、
僕は札幌に行った時に一度ドン・キホーテなるのものを見かけて、
中々面白い店だな、と思った事を覚えています。
ディスカウントストア、ドン・キホーテの社名は
やはりセルバンデスの小説、ドン・キホーテから
来ているようです。

そのドン・キホーテというディスカウントストアが
TV電話を使って薬剤師が深夜の薬販売に対応する
という事業を始めたところ
厚生労働省が、それは薬事法違反の疑いがある、という事で
指導を入れてきた、というのが今回の薬販売事件の発端だったようです。

指導を受けたドン・キホーテ側が、それならば、という事で、
店舗を限って、発熱や悪寒など緊急性の高い症状を発している人に
対してだけ薬を無料配布する、と
したところ、厚生労働省がまたまた出てきて
それも法律違反だ、と指摘してきたという話。

そこにマッチョな石原慎太郎都知事が絡んできて
あの役所(厚生労働省)はバカだ、と発言したため
マスコミも巻き込んでこの問題が一気に
クローズアップされるようになった、というのが
一連の流れのようです。

僕はビジネスの分野はずっと疎くて
ビジネス書界の重鎮とされる
ドラッカー博士の著書を何冊か読んでみてから
少しは分かるようになってきたのですが
要はビジネスというのは、その社会が抱えている矛盾や
人々が困っている事を解決しようとするところに
生まれるものらしいのです。
そしてその発生したサービスによって
マネーが動くようになっていく、と。
それはあくまで理想的なビジネスのケースらしいのですが。

で、今回のディスカウントストア、ドン・キホーテの薬販売事件を
ドラッカー理論に照らして考えてみると
夜間の急病で薬を必要としている人達に薬を提供したい、という
ドン・キホーテのビジネスモデルは、
まさに人々が困っているところにビジネスが発生した
理想的なケースだったわけです。

それに対して厚生労働省が、それは薬事法違反の疑いがある、と指導してきた。
薬害などを未然に防ぐのが厚生労働省の仕事なのだから
それはある意味当然だとしても
ドン・キホーテ側は、テレビ電話で薬剤師に対面販売させる、と
言っていたのです。
でも厚生労働省の側は、テレビ電話、では、対面、にならないと言う。
僕としては、この辺で既に、厚生労働省の側の感覚が
ズレてきているような気がしますが、どうなのでしょう。
テレビ電話、では、対面、にならない。

僕も薬局で薬を買う事がありますが、そういったケースで、
薬剤師さんに脈拍をとってもらった、という記憶はないので、
深夜で人手が足りない場合にテレビ電話で応対する、というので
あれば問題ないような気がします。

で、そういった指導があった後、ドン・キホーテ側としては仕方がないからと
販売を諦めて、店舗を限って夜間に発熱や悪寒など緊急性の高い症状を
発している人に対してだけ薬を無料配布する、としたところ、
厚生労働省がまたまた登場しそれも法律違反だ、と指摘してきたという事。

セルバンデスの小説では、ズレた理想に燃えてしまったために
時に滑稽な姿をさらしていたのは、やせ馬、ロシナンテ、を伴って
旅に出た老人、ドン・キホーテ、の側でしたが
今回の一連の騒動ではどうなのだろう。
ズレているのは、ドン・キホーテの側でなく
厚生労働省の側のような気がします。
古くは現在の民主党代表でもある管直人氏が
薬害エイズの件で厚生労働省とかなりやりあっていた記憶がありますが、
石原慎太郎都知事も言うように
やはりあの役所は、バカ、なのでしょうか。

誤解されると困りますが、僕はドン・キホーテさんから
マージンを頂いてこのエッセイを書いているというわけではありません。
むしろドン・キホーテに代表される
場所を選ばないディスカウントストアの深夜営業には
疑問を持っています。

実際ドン・キホーテは、深夜営業で地域社会の生活を
壊してしまう、とか、品揃えに品が感じられない、と
批判されていた時期もありました。
僕が札幌で見たドン・キホーテは、実際そんな感じで
若い人達の深夜の溜まり場になってしまうかもしれないな、という
雰囲気がありました。
でも、地域社会の生活を壊してきたのは
ドン・キホーテだけに限らなくて
大手スーパーも、コンビニエンスストアも
地域社会の生活、もっと言えば商業文化を壊してきたと
僕は思ってしまいます。

仙台では毎年初売りの時期になると
大手スーパーと地元商店街の間で
元旦営業を巡った対立が表面化しますが
その最たる例だと思ってしまいます。

私事となりますが、僕が子供の頃は
古本屋でエロ本を立ち読みしていたりすると
店のオヤジが咳払いをしながら何気に近づいてきて
ゴソゴソと周りで掃除を始めたりしたものです。
このクソガキが……といった古本屋のオヤジの
無言のプレッシャーに気圧された幼き僕は
エロ本をその場に置いて逃げ帰るしかなかったわけですが、
そういった非常にミクロな教育効果も地域社会の持つ商業文化だ、と
仮定すると、コンビニエンスストアの明るい店内にエロ本が堂々と
陳列してある、という状態は絶対によくないと僕は思います。

簡単に言うと、ディスカウントストアや
大手スーパーやコンビニエンスストアには
お客様、と、従業員、はいても、古本屋のオヤジがいない、
という事なのですが、古本屋のオヤジ、が
地域社会の持つ商業文化だ、と言ったら極論でしょうか。

でも時代の流れは逆には戻せません。
僕も今ではディスカウントストアや大手スーパーや
コンビニエンスストアを結構利用しています。
もうそういった商業施設の存在を否定しても仕方がない
ように思います。
現在は、普及したディスカウントストアや大手スーパーや
コンビニエンスストアを、どう地域社会のコミュニティーとして
機能させていくか、という段階にきているような気がします。
80年代頃には、若者の店、とされていた、コンビニエンスストアに
今ではお年寄りの姿も見るようになってきました。
現代はそういう時代です。
時代の流れは逆には戻せません。

夜中に熱が出て悪寒が襲ってきたりしても
ドン・キホーテに行けば、診療所が開くのを待たずに薬をもらって
応急措置ができる。
そんな意識が、人々の間で共有されるようになれば
ディスカウントストア、ドン・キホーテが
地域社会のコミュニティーとして機能し始めた、と言えるのではないかと
僕は思ってしまうのですが、どうなのでしょう。

そんな社会を夢見ている僕は
やはりズレた理想に燃えるあまり
現実が見えていない、ドン・キホーテ、なのでしょうか。





-ドン・キホーテ(完)-


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ドン・キホーテ 全6冊 (岩波文庫)