2003年10月1日水曜日

皆殺しのメロディー(1) 2003.10.X 初出

現在の、靖国神社、に代表される
国家神道、というのものは、明治期に行われた
廃仏毀釈(仏教を捨てる)によって
誕生したものであります、という事は
以前にも書きましたが
それが現代においても、いわゆる、靖国神社問題、として
政治問題となっていたりするわけであります。

国家神道? 靖国神社? という読者の方も
おられるかもしれませんが
国家神道、靖国神社問題、というのは
最近では夏の風物詩となった観すらある
マスコミが靖国神社へ向かう自民党の先生方に
マイクを向けて、公式参拝ですか?
私的参拝ですか? とやっている
お馴染みのあれの事であります。

まずその、国家神道、靖国神社問題が
政治問題化するまでの経緯を確認しておきたいのでありますが
江戸時代までの日本では、神仏習合、という事で
神道の神社と仏教の寺院は一緒になっていたのであります。
今でも神社と寺院が隣り合わせているところは
多いものですが、あれは江戸時代までの
神仏習合の名残なのでしょう。
日本人はかつて、神仏習合、を当たり前のように
受け入れていたのであります。

ところが江戸末期のいわゆるペリーの黒船来航以来
西洋列強の圧力を受け始めた日本社会では
強力な近代国家を築き上げる事が
急務となったわけであります。
そこで主に伊藤博文らが中心となって
西洋文明の強力な一神教、つまりキリスト教に
対抗できる国教として、神社から仏教を
排斥したいわゆる、国家神道、を
造ることにしたわけであります。

熊野が生んだ大作家、南方熊楠は
この明治期の、国家神道、の整備のために
行われた、廃仏毀釈、に対して猛反対しています。
おい熊さん、何かあるのかい? というくらいの
すさまじい反対ぶりで
外国の学者に手紙を書いて
援軍を頼んだりもしています。

結局南方熊楠の猛反対も虚しく
この時期、日本全国で多くの仏像・観音像
が取り壊され、国家神道にそぐわない
神社も相当程度破壊されてしまったようであります。
その背景には、江戸末期に葬式仏教化して
金取りばかりしている仏教に対する
庶民の反感もあったと言われています。

で、僕は南方熊楠の肩を持ちたいのでありますが
南方熊楠の言うところでは
日本の神社というのは、史跡、名所としての効果に加え
動植物保存の効果、風俗、里伝の保存の効果
健全な愛郷心より出でた愛国心を
堅固にする効果、山林を保存する効果、
西洋社会に見られる公園としての役割、などなど
上げていったらきりがないほどの美点があるのに
それを破壊してしまうとは何事か、という事なので
あります。
これは日本の自然保護運動の原点とされる
南方二書、という文書に書かれている事です。

南方熊楠は、他のエッセイにおいても
日本の神社は、参拝することでたちまちにして
頭のてっぺんからつま先まで感化されてしまう
ものである、とか、それがわが国固有の
心の曼荼羅である、とか様々なことを述べています。

それらの事から僕は
神社を破壊することは、日本人の心を
破壊する事でもあるのだ、というメッセージを
受け取ったのでありますが
結局、南方熊楠の猛反対虚しく
国家神道整備のための、廃仏毀釈、によって
多くの神社・寺院がこの時期破壊されてしまいました。
この辺から日本人の心の荒廃が始まったのでは
ないか、と僕は見ています。

こういったわけで、僕は、明治以前には
自然に存在した、神仏習合、という感覚を
とても大切に思っているので
冷戦期に作られた、右翼だ、左翼だ、といった
イデオロギー対立に利用された神道には
正直言って余り興味がなかったりします。

神仏習合。
神も仏もみな、一緒。
こんなに広い宗教心は
世界広し、と言えど、日本しかないのでは
ないでしょうか。
今でもほとんどの日本人は
神様や仏様は……と呟いても不自然には
思わないはずです。それもきっと、神仏習合、の名残なのです。
でも欧米では事情が違うはずです。
神様は……と呟いたら、それはアッラーか
エホバか、となってしまうでしょうし
神様や仏様は……と呟いたら
あんたは、ユダヤなのかキリストなのかイスラムなのか
仏教徒なのか、それとも唯物史観に立つマルキストなのか
はっきりしろ、となってしまうでしょう。

で、たぶんそういった西洋先進国の姿を
知っていた明治の近代化の時期の
エリート達は、西洋の強烈な一神教(この場合はキリスト教)に
対抗するために、仏教を捨てて、国家神道を作りあげたのだと思います。

そして明治以後の日本社会は、靖国神社を頂点とする
国家神道のもと、急速に近代化していくわけです。
戦争の際、日本軍の兵士達は、靖国で会おう、と
励ましあっていたという話です。
つまり戦死した日本軍の兵士達は、神様として
靖国神社に祭られる事になっているのです。

で、近代国家日本のために戦って戦死した兵士達の霊
いわゆる、英霊、を祭ってある靖国神社に
最も保守的な政党である自民党の政治家が参拝するというのは
ある意味当然の行為であると言えるわけであります。
ちなみに小泉首相は、神風特攻隊の遺書を読んで
涙を流したと言われています。

でも日本の戦争は、GHQが行った東京裁判で
侵略戦争であるとされ、その戦争を
遂行した人達は、戦争犯罪人、とされているわけです。
そうなると、中国政府や韓国政府の側からは
戦争犯罪人、を祭る靖国神社に
国家の最高権力者が、私人としてではなく
公人として公式に参拝するとはいったい何事か、という事になるわけです。
でも自民党の政治家にしてみれば
近代国家日本のために命を捧げた人々を
祭る靖国神社に参拝するのは
戦没者遺族の方々に対する最低限度の礼儀だろう、となるわけであります。

そういったわけで毎年夏になると、マスコミが
靖国神社に参拝する政治家の方々にマイクを向けて
私的参拝ですか、公式参拝ですか、と聞く
そして政治家の側が渋い表情を見せる、という
お馴染みの騒ぎを僕達は見せられる事に
なるわけであります。
そして中国政府や韓国政府から遺憾の意の表明が
あった後、なんだかよく分からないまま事態が終息する。

戦争を知らない子供達、どころか
高度成長期すらも知らない子供達が圧倒的に
増えた現代社会にあって、
あの毎年夏の騒ぎはいったい何なのだろうねえ
お父さん、という話になるわけですが
実はそのお父さん自身も戦争を知らない子供達なので
お父さんもよく分からない、という話になるわけです。
で、ほとんどの人にはマスコミだけが一人歩きしているように見えてしまう。

日本の国家神道、靖国神社問題、の流れはだいたいこんなところで
あるわけですが、こうして書いてきてみるとホントに複雑ですね。
その複雑な政治問題を、とりあえず
私的参拝ですか? 公式参拝ですか? と
聞いておけばいいだろう的アプローチで夏の風物詩と
化してしまっているマスコミの報道姿勢に
僕はちょっと不満があるので
ズラズラと書いてきてみたわけであります。
で、せっかくズラズラとここまで書いてきたので
今日はもっと大きくズラズラと書いていこうと思います。



-皆殺しのメロディー(2)へ続く-
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