2003年10月1日水曜日

平成おじさん 2003.10.X 初出

現在の日本社会では信じられない事が
次々と起き始めていて
電話や郵便、道路といった戦後日本の成功を
支えてきた業界が、次々とその歴史的役割を
終えようとしています。
明治からさかのぼれば、これに鉄道も入ります。
つまり電電公社がNTTになり、国鉄がJRに
なったように、郵便局・道路公団が
民営化されようとしているのです。

これらの動きに共通しているメッセージは
何だろう、と僕なりに考えてみると
やはりこのエッセイで何度も書いてきたように
官尊民卑、から、民尊官卑、への移行なのだな、と
思ってしまいます。

そして時を同じくするようにして
帝国主義の時代に形成された
帝都、東京を中心とした
都市型のヒエラルキー(階層構造)社会
旧帝国大学を中心とした
学歴社会・受験戦争も終わろうとしています。

インターネットの普及は、四大新聞を中心とし
かつて司法・立法・行政に次ぐ、第四の権力、と
されていたマスコミの権力構造を壊しつつあります。
インターネット上で動画のストリーミング配信が
もっと容易になっていけば、活字マスコミに続き
きっとテレビの権力も次第に弱まっていく事でしょう。

これらの、情報流通経路の革命、とも呼べそうな
状況を一言で表すとすれば
それは、情報の民主化・権威・権力の崩壊、です。

社会システムの、官尊民卑、から、民尊官卑、へ
といった動きと合わせて考えると
やはり現代は、戦後の繁栄、悪く言えばバブルの享楽で
幕を閉じた、明治以来の画一的中央集権化の
流れの終焉なのだな、と思ってしまいます。

もう官僚主導による愚民化政策の下で形成された
普通の日本人、による、みんなと一緒に人並みに、の社会は
戻ってこないと思いますし、また戻そうとすべきではないと思います。
戻す道はただ一つ、全体主義、ファシズムしかないからです。

これから求められるのは
自分で考えて行動できる自立した、市民、なのだと思います。
たぶん、そういった自立した市民一人一人によって
構成される日本社会が求められているのです。
あらゆる権威、帝国主義的制度が
次々と全面崩壊し始めている時代状況にあって
何かにすがろう、とするアプローチでは
たぶん生き残れないのです。

昭和天皇が崩御され、次の年号、平成、を
発表した故小渕恵三首相は、総理大臣としてよりも
むしろ、平成おじさん、として人々に記憶された感が
ありますが、まさに今の時代状況を一言で言い表せば
平成、つまり、平(たいら)に成る、時代なのだなと
僕は思ってしまいます。

平成、という時代は、帝国主義時代の遺物が
音を立てて崩れていって残骸となり
平(たいら)に成る、時代。
だから現代の、平成維新、とも呼べそうな大混乱の
状況において、坂本竜馬、や、西郷隆盛、のような
英雄は必要ないのだと僕は思ってしまいます。
だって平成は、平(たいら)に成る、時代なのだから。

求められているのは、
坂本竜馬、や、西郷隆盛、のような
俺がやってやる、といったタイプの
英雄豪傑ではなくて、
自分で考えて行動できる自立した市民一人一人による
小さな行動、なのだと思います。
いわば市民一人一人が、維新の担い手、とならなければ
ならない時代状況なのだと僕は思うわけです。
とても理想主義的に聞こえるかもしれませんが
たぶんそれが、平成維新、において
最も求められている事なのでしょう。

自民党の古いタイプの政治家が
なんだかおかしな行動を繰り返しているように
見えてしまうのは、今の時代状況にあって
坂本竜馬、や、西郷隆盛、のようなアプローチで
行動するからなのだと思います。
ムネオハウス、などでマスコミに叩かれていた
鈴木宗男さんも、僕はその手のタイプの政治家なのだと
見ているのですが、歌手の松山千春さんが
擁護していたように、本人はきっとそんなに悪人では
ないのでしょう。
ただ決定的にアプローチが古いのです。

そういったわけなので、これからの日本社会において
偉そうに不特定多数の日本人に対して
ああせよ、とか、こうせよ、と
がなっている人がいたら、少し疑って見た方がいいと思います。
帝国主義の時代と違って、庶民は格段に情報を持って
いますし、もうそんなに無知でもなくなって
きているわけですから。

平成維新は英雄を必要としない。
社会を構成する、市民、としての自覚を持った
一人一人の、小さな行動、よって平成維新は達成される。
それが、平成、のメッセージなのだと
僕は思いたい。

あらゆる権威が、音を立てて崩れ去った後
台頭してくるのは、英雄、ではなくて
たぶん、市民、なのです。
それが、平成、つまり、平(たいら)に成る、時代の
意味なのだと思います。

平成おじさん、故小渕恵三首相の
御冥福を、心からお祈り申し上げます。
僕は、オプチミストの小渕です、という
駄洒落は、嫌いではなかった。




-平成おじさん-