2003年10月1日水曜日

小説とは何か(4) 2003.10.X 初出

折口信夫翁の国文学の発生からズラズラと
小説とは何か、という事を大きく考えてきました。

このラインで考えてみると、古事記や日本書紀といった、大説、と
個人の精神の葛藤をオーバーラップさせた
中上健次さんの日輪の翼という、小説、や
日本の近現代史という、大説、と個人の精神の葛藤を
オーバーラップさせた三島由紀夫の、豊饒の海、という
小説、の評価が高いのも頷けます。
日本の現代史という、大説、と個人の精神の葛藤を
オーバーラップさせた村上龍さんの、愛と幻想のファシズム、も
やはり素晴らしい、小説、なのでしょう。

日本文学というのは、折口信夫翁言うところの
官を、大、とし、民を、小、とする
官尊民卑の思想からきた、小説、という概念から出発し
それがやがて、ノベル、の訳語となり
大江健三郎さんが言うところの
精神のことをするとこ、文学、に至った。
そして現代の俗に、W村上、と呼ばれる
村上龍さんや村上春樹さんのような
西洋文学を吸収したスタイルにまで
進化してきたのかもしれません。

W村上、の、小説、はどれだけ進化しているか。

村上春樹さんの第一作、風の歌を聴け、は
書き上げた、テキスト、を、一度全文英訳してから
和訳しなおして完成させたと言われています。
村上春樹さんのその努力は凄いものがありますが
そういったプロセスを経て、日本語のベタベタした感じを
テキスト、から抜き取る事に成功したわけです。
本当に凄い努力ですが、そういった努力を
一読して見抜く文壇の選考委員達の、読み、も
また凄いものがあります。
僕はたぶんそこまで読めません。

対して、村上龍さんの第一作、限りなく透明に近いブルー、は、
主人公の内面の葛藤がほとんど書いてありません。
ただ、米軍基地のある街、で、薬物を吸って
乱交に及ぶ若者達の姿が詩的に描かれているだけです。
発表当時は、こんなものは、文学、ではない、と
酷評されたそうです。ただの風俗小説だ、と。
麻薬やセックスは、当時(70年代)の日本社会では
まだ大っぴらには話せない話題だった、という事も
あったのでしょうが、限りなく透明に近いブルー、は
100万部売れたそうです。
実際、覗き見趣味的、興味本位で売れた部分も
あったのでしょう。
まさに風俗小説的に読んだ読者もいたのだと思います。
でも今となれば、それが日米安保以来
一貫して米軍基地に侵食されている日本文化の
原点であったと分かります。

2003年現在、日本全土がアメリカの基地になって
しまったので、薬物をキメて乱交に及ぶ若者達、という
刺激的な見出しが週刊誌の広告を飾っても
別にほとんどの人は驚かなかったりします。
その元締めが、ビッグな芸能人の息子だ、となると
話はまた別ですが……。
たぶん現在、お嫁さんに行くまでは処女でいたいの、という古典的な女性は、
笑われてしまうのではないでしょうか。
処女はダサいから、テキトーな男と
さっさとセックスしておきたい、という若い女性はきっと多いでしょう。
もう、限りなく透明に近いブルー、は日常化してしまったのです。
限りなく透明に近いブルーだ。

ちなみに村上龍さんの、限りなく透明に近いブルー、の
評価が文壇の選考委員の間で割れた時
卵のなかみ、でも何回か紹介している、死霊、を
書いた埴谷雄高翁の鶴の一声で受賞が決まったそうです。
埴谷雄高翁が、限りなく透明に近いブルー、を押した
理由がまた凄くて、今日の朝、天気が良かったから、だそうです。
今日の朝、天気が良かったから。

爆! という感じがしてしまいますが
その後村上龍さんが、20年以上第一線で書き続け
現在芥川賞の選考委員になられた事を考えると
埴谷雄高翁の、炯眼畏るべし、という気がします。

今日の朝、天気が良かったから、で歴史は動いてしまう。
このエッセイで僕は何度か書いてますが
やはり大切なのは太陽なのではないか、と思ってしまいます。



-小説とは何か(5)へ続く-
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