2003年10月1日水曜日

ポップなお地蔵さん(1) 2003.10.X 初出

お釈迦様は、偶像崇拝はいけない、としていたそうです。
つまりお釈迦様は、特定の偶像を拝んではいけいない、としていたのです。
僕は何故か、どういうわけか、どういう巡り合わせか
今日はお地蔵さんの話を書いてみようと思ったのでありますが、
お地蔵様信仰、というのは、お釈迦様が考えたものではないわけです。
お釈迦様は、偶像崇拝はいけない、としていた。

ちなみに、イスラム教もユダヤ教も
偶像崇拝を認めていません。
イスラム原理主義勢力、タリバン、が、バーミヤンの大仏を破壊して
世界中から非難された事件は記憶に新しいものですが、
イスラム教が偶像崇拝を認めていない事と無縁ではないような気がします。
宗教というのは、人々の感覚や感受性、最終的な正邪の判断にまで
影響を及ぼしてしまうものなので厄介ですね。

僕はその、偶像崇拝、というのはどちらかというと
教祖がいなくなった後に後世の指導者が
民衆を教化するために作った、嘘も方便、の類ではないか、と今のところ
考えています。
お地蔵さん信仰も、そういった流れの中で
出てきたものではないかと思うわけです。

ちなみに、お地蔵さん、というのは
正確には、地蔵菩薩、と呼ばれる菩薩様で
地獄に落ちてしまったどんな悪人でも
あまねく平等に救ってくださる
大変有難い菩薩様であるそうです。

中世の破戒僧、一休禅師、一休宗純は

南無釈迦じゃ、
娑婆じゃ地獄じゃ極楽じゃ
どうじゃこうじゃと
言うが愚かじゃ

という大変格好いい歌を遺していますが
全くその通りで、僕は人間が生きていく現実の中に
天国も地獄もあるのであって、死んでしまってから
天国に行ったり、地獄へ行ったり、という事は
ないのではないか、と思ってしまいます。

南無釈迦じゃ、
娑婆じゃ地獄じゃ極楽じゃ
どうじゃこうじゃと
言うが愚かじゃ

この大変格好いい歌を遺した、一休宗純、という
中世の破戒僧は、僕が子供の頃あったアニメ、一休さん、のモデルと
なった人物でもあります。
二十代後半以降の方はご記憶かと思いますが
頓知小僧、一休さん、は、将軍様こと足利義満の
押し付ける無理難題を、毎回頓知(とんち)で切り抜けていきます。
確かそんなアニメだったように思います。

一休宗純はその名も、狂雲集、という歌集を遺していますので
興味のある方はどうぞ読んでみて下さい。
中央公論新社の中公クラシックスから出ています。
僕もその、狂雲集、読んでみたのですが
一休さんこと一休宗純は、中々熱い人で
自殺未遂を起こしたり、女のもとに入り浸ったり、と
中々の、破戒僧、ぶりを発揮しています。
近代以降の言葉で言えば、デカタンス、とか、退廃、という事に
なるのでしょうが、近代以前はそれが、破戒、だったのかもしれません。
破戒、つまり、戒め(いましめ)を破る、という事です。

最近では、かつては、聖職者、とされていたはずの学校の先生達が、
女子高生と援助交際していたのがバレてクビになったりしてますが、
僕が受ける印象では、それらの事件はどうも、デカタンス、の匂いも、
退廃、の匂いもしない、かといって、破戒、という覚悟すらない、
なんともスケールの小さいミミッチイ事件ばかりのように思えて
とても嫌な気分になります。
はっきり言って、ちょっとした助平心、しか感じられません。
ちょっとした助平心で、前途ある少女の人生を
台無しにするような事は許されないはずです。

お地蔵さんの話を書くはずが
だいぶ話が逸れてきてしまいましたが、
気にしない、気にしない、一休み、一休み、です。

で、僕はまだ若いせいか、一休同様死んでからの
天国だ、地獄だ、という発想には懐疑的なわけであります。
でも歳をとったら、どうか分かりません。
お地蔵さん、わしが地獄落ちても救うてくれよ、と
毎日お地蔵様に線香を上げることになるかもしれません。
そんな時、地獄に落ちてしまったどんな衆生(しゅうじょう)でも、
あまねく平等に救ってくださる地蔵菩薩様は大変有難い菩薩様で
あるわけであります。

僕は最近その大変有難い地蔵菩薩様を
TVCMで見かけるようになったのでありますが
あれはいったい何なのだろう。
とてもポップなお地蔵さん、お自動さん!?



-ポップなお地蔵さん(2)へ続く-
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