2003年10月1日水曜日

小説とは何か(3) 2003.10.X 初出

日本ではかつて、私小説、という分野の小説が
大変盛んで、文学と言えば、私小説、といった認識が
今も残っていたりしますが、私小説が喜ばれる、というのは
日本独自の文化だったようです。

かつての日本の私小説の作家は、たいてい自身の内面の
葛藤を書き綴っていって、最後は書かれた本文、テキスト、と
作者自身の人生が重なってしまい自殺に至る、というケースが多かったようです。
なんとも痛ましい話なのですが、日本人はかつて
そういう小説こそ、文学だ、として喜んでいたわけです。
私は死にます、私は死にます、という小説を書いているうちに
本当に作者が死んでしまう。
そういうケースを、テキストに喰われる、と言ったりしますが、
そういった面では、書く、という作業は大変恐ろしい行為であったりします。
現代ではホームページ上で誰もが自身の内面の葛藤を
公表できるようになりましたが、書かれたテキストに
喰われて死んでしまう事もあるのだ、という、書くことの恐ろしさ、を
頭の片隅に置いていて損はないと思います(僕も含めてね)

で、かつての日本では、そういった、私小説、が
最も、文学、とされていたのです。
ノンフィクションの、自殺モノ、が最も、文学、とされていた。
なんとも凄まじい話ですが
やはり日本人は死なれると、もう駄目、なのでしょうか。

そういったタイプの私小説があまり流行らなくなってしまったのは、
近代化を達成し多くの人が、純粋なる日本精神、をなくしてしまった事と
関係があるのかもしれません。

ちなみに現代のノーベル文学賞作家、大江健三郎さんは
小説とは、精神のことをするとこ、と定義されているようです。

確かに近代以降の小説というのは
人間の内面に入り込んで行って
精神のこと、を深く掘り下げていったものの方が上質、とされているように
思います。
そういった部分を、文学、と呼んでいる観があります。

小説、という言葉は、先述の折口信夫翁が言うところの
民間説話・伝説の記録、というニュアンスから
出発し、西洋から来た、ノベル、という概念の訳語となり、
精神のことをするとこ、文学、に至ったのかもしれません。

僕は文学史家ではないので、正確ではないかも
しれませんが、こうして一つの言葉の由来を追っていくだけでも
結構な事が学べてしまいます。
言葉って不思議です。



-小説とは何か(4)へ続く-
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