2003年10月1日水曜日

ポップなお地蔵さん(2) 2003.10.X 初出

某消費者金融のTVCMに出てくる
とてもポップなお地蔵さん、お自動さん、とは
いったい何者なのだろう、と僕は思うわけであります。

生活苦で地獄に落ちてしまった衆生を
お自動さん、は、あまねく平等に救ってくれるとでも
言うのでしょうか。
地蔵菩薩様が、地獄で救ってくれた見返りに
お布施として金を取る、などという話は聞いた事がありません。
でも、お自動さん、は、高い金利を取るのだそうです。
何かおかしい、と思うのは僕だけではないような気が
しますが、どうでしょう。
僕の周りには、最近の消費者金融のTVCMの無軌道ぶりに
憤りを覚えている人達がたくさんいます。

僕はあのTVCMは絶対によくないと思う。
ずるいな、と思うのは、地蔵菩薩様をポップさにくるんでかわいい、
お自動さん、にしてしまっているという事。
とてもポップなお地蔵さん、お自動さん、に
してしまっているという事です。

少々話が逸れてしまいますが、まずその、ポップ、について考えてみたいと
思います。

アメリカ文化の強さはアンディ・ウォーホールに代表されるポップ性に
あるとはよく言われますが、戦後日本人はマクドナルドやコカ・コーラが
入ってきてもアメリカの思想が入ってきているとは気がつきませんでした。
何故か? 
それらがとても、ポップ、だったからです。
ポップは思想を隠します。

戦中派の人達は、街中でところかまわず
歩きながら飲み食いする若い人達を見て
眉をひそめますが、要は戦前の日本には
マクドナルドやコカ・コーラに代表されるものが
なかったわけです。
別にGHQに命令されて日本人がところかまわず
飲み食いするようになったわけではありません。

ちなみに70年代頃の日本では、マックが一番お洒落な
店だったそうです。
僕が子供の頃は、コカ・コーラ、が格好よく見えた気がします。
最近ではその本質がバレてしまって
マックをお洒落な店だと思う人はいないだろうし
コカ・コーラのビンを並べたりする人は
コレクター以外にはいないと思います。

では何故戦後のある時期まで
マックやコカ・コーラが格好よく思えたのか。
それは、勝者の文化だから、という事プラス
たぶん、ポップ、だったからなのだと思います。
ポップは思想を隠します。
その、隠された何か、によって日本文化は戦後
かなり侵食されてしまったのだと思いますが
その何か、はきっと重要なものなのだと思います。
イスラム圏では、その何か、を警戒して最近
コカ・コーラに対抗してメッカ・コーラを
発売したらしいですが、気持ちはよく分かります。
僕が子供の頃、ビートたけしさんCMの
ジョルト・コーラというものがありましたが
(確かカフェイン2倍がウリでした)
あれはもしかしたら、コカ・コーラの持つ何か、に対して対抗していたのでは
ないか、と今思いました。
ジョルト・コーラは日本のメッカ・コーラだったのです。
何か深読みし過ぎているような気もしますが
北野武さんはやはり凄い人だな、と今改めて思いました。

そういった文化の持つ力を
ソフトパワーと言うらしいのです。
ハーバード大学のジョセフ・ナイという政治学者が
ソフトパワー論というのを提唱していますが
アメリカ上層部は結構その辺意識的なわけです。
アメリカの上層部はとんでもなく頭がいいから
手に負えません。とにかく全てにおいて戦略的なのです。

そういったソフトパワー、文化の感染力のようなものの中でも
ポップカルチャーは、思想が見えないだけに
警戒のしようがないため実は最も強力なのでは
ないか、と僕は思ってしまいます。

ポップは武器です。
日本はどんどんピカチュウを輸出すればいいと思います。
ピカチュウは日本最強のソフトパワーです。
ピカチュウは人々に警戒心を持たせないので
外国の人は、ピカチュウを見ても
日本の思想が入ってきているとは
感じないと思います。
ちなみに僕は、一度観光地でピカチュウバスを見かけた
事があるのですが、なんだか嬉しくなってしまって
難しい事を一切考えずにピカチュウバスに
乗ってしまったことを覚えています。

なんだか嬉しくなってしまって
難しい事を一切考えずに~してしまう。

それがポップの力なのではないかと思います。
その感覚はきっと、インテリ先生が100万言を尽くしても
説明できない性質のものなのです。
論理ではなく感覚に訴えるもの。
左脳ではなく右脳に訴えるもの。
それがポップの持つ力なのだと思います。
インテリにポップは無理だ、と
かつて村上龍さんが発言していましたが
全くその通りです。
インテリ先生が百万言を尽くしても
ポップの力は説明できません。
だからそれは力なのだ、と僕は思います。

つい最近まで、反日、というキーワードで
国民の一体感をキープし、国家の近代化に
取り組んでいた大韓民国が、日本文化の
流入を制限していたのもそのためなのでしょう。
韓国のインテリ先生達が、百万言を尽くして
国民に反日思想を吹き込んだとしても
ピカチュウが侵入してきたら
韓国の子供達は、日本を好きになってしまいます。
それは日本人がディズニーランドで
アメリカを好きになってしまったのと
パラレルなのだと思います。

そういった関係は、実は近代国家同士の文化戦略だけに
限らなくて、ヤッシー人形などで上手くポップ性を獲得する事に
成功している田中康夫長野県知事と長野県民の関係も同じだと僕は思います。
ポップは力です。
ヤッシー人形は警戒心を持たせません。
田中康夫知事の政治理念がどういったものか
分からなくても、ヤッシー人形に代表されるポップ性で
改革してそうに見えてしまいます。
インテリ先生が百万言を尽くして
田中康夫知事の政策批判の文章を書いたとしても
ヤッシー人形のポップ性の前には敗北してしまう。
ポップは力です。
そういった政治手法はテレビとセットなのでしょうが
現代文明はテレビなしには成立しないのだから
仕方がないと思います。
嘘も方便、なのだから、田中康夫知事は、ヤッシー人形を前面に
出していけばいいと思います。
ちなみに僕は田中康夫氏がどういう考えを持っている人
なのかよく知りません。
でもヤッシー人形が振りまく、改革っぽい雰囲気、は
よく知っています。
その点で既に僕もメディアに侵されているわけです。
現代の政治家には俳優の才能が求められるし
現代の有権者には映像の嘘を見抜くメディアリテラシーが
求められるという事なのでしょう。

と、ズラズラとポップの力、映像の力、ソフトパワーについて
書いてきたわけですが、そういった手法を駆使して、高利貸し、の
イメージを変えようとしている
消費者金融のTVCMはよくないのでは
ないか、と僕は言いたいわけであります。
特に、お自動さん、は、絶対よくないと思う。
仏教関係者はどうして何も言わないのだろう。

僕が子供の頃は、サラ金だけには手を出すな、と
よく教えられたものですが、最近の消費者金融のTVCMを見ていると、
だんだんお金を借りることへの罪悪感がなくなってきます。
これから若い夫婦が子供を育てようとする時に、
果たして、サラ金だけには手を出すな、と子供に教えられるだろうか、と
疑問に思ってしまいます。
TVCMでは借金を奨励しているようにさえ見えます。

もちろん借金が全て悪いわけではなく
ここが勝負どころだ、と思ったら借りるのも手だし
車を買う時なども頭金だけ払って
後はローンで、いう方が便利な場合もあります。
でもサラリーマン金融というものは、そういう性質のものではないような
気がします。

僕は高利貸しと売春は、人類の文明の本質に関わる
普遍的なテーマだと思います。

ユダヤ人は差別でまともな職につけなくて
高利貸しとして身を立てたために、ますます嫌われる、という歴史を
たどりましたし、イスラム世界ではマホメッドが金利を取る事を
禁止したりしました。
借金が返せないなら娘を風呂屋に突っ込め、というのは
昔はおなじみの脅し文句でした。
シェイクスピアの、ベニスの商人、という小説では
借金の返済の代わりに胸の肉を差し出すのは是か否か、という、
人肉裁判、が重要なモチーフとなっています。

そういった人間の悲喜劇が凝縮される高利貸しという行為を、
ポップ性にくるんで隠す、というのはズルいと思う。
まして多くの人々の悲痛な祈りを受け止めてきた
地蔵菩薩様を、お自動様、などというポップなキャラクターにしたてて
借金を薦めるTVCMを大々的に流す、などという行為が許されるのだろうか。

そう言えば、売春、も、いつの間にか
援助交際、というポップなイメージに
変換されてしまいました。
援助交際とテレビの関係についてもいずれ書く予定です。

僕は子供の頃からテレビがあまり好きではありませんでしたが
最近では、嫌い、という感覚に近くなってきているのに今気がつきました。
TVの普及をさして、一億総白痴化、と評したのは
大宅壮一だったと思いますが、もうそんなレベルを
超えているように思います。
もう狂気に至っているような気がする。
そして、毎日大量に浴びせられる狂った情報は
食品添加物のように次第に人々の深層意識に
蓄積されていくのです。
僕は知的障害者が人類の中で唯一罪のない存在だと
考えているので、一億総白痴化、という表現は使いたく
ありません。
あえて現在の状況を言えば、一億総狂気です。

ドス黒いメッセージを隠したポップなTVCMが
溢れていますが、そのポップ性を剥ぎ取られた
本物の地蔵菩薩にはやっぱり凄みがあるし
本物の売春の現場はとても生々しいと思うし
高利貸しもかなりドギツイ業界のはずです。
僕の知人はサラ金業界に入って三ヶ月で辞めて
しまいました。凄かったそうです。

偶像崇拝も売買春も高利貸しも
人類の業なので、なくなる事はないと思います。

でもそういった人間の悲喜劇が凝縮される
ディープな性質のものを、ポップさにくるんで
大々的にTVCMで流すという社会は
狂っているとしか言いようがありません。




-ポップなお地蔵さん(完)-
狂雲集 (中公クラシックス)

コーラン〈1〉 (中公クラシックス)

コーラン〈2〉 (中公クラシックス)

ヴェニスの商人 (光文社古典新訳文庫)