2003年5月1日木曜日

日本酒考 2003.5.X 初出

日本に殺られる、と思った。
このままでは殺られてしまう。
ヤラれてしまう。ヤラれてしまう。
このままでは日本に殺られてしまう。

僕は最近、日本酒を非常に警戒している。
それは次の日に米麹の匂いが残るとか
記憶を失くすことが多いという事だけでは
ないような気がする。
僕の周りにも日本酒警戒派は多い。
ワインやビールはワイワイガヤガヤと飲んでいても
あの、独特の形状を持つトックリとオチョコが
コトリ、とテーブルの端に置かれた刹那
座は、ある種の緊張に包まれる。

何故だ、何故だ。
僕は考えた。それは日本酒が、純粋なる日本精神を呼び覚ます
からではないかと。
三島由紀夫が書ききったように
純粋なる日本精神とは
大いなる大義のために腹を切る
という行為に、象徴的に現れる。
また三島はこうも書いている。
純粋なる日本精神は、社会が近代化していく中で
次第に下層階級や地方の人々にしか
見出せなくなっていくだろう、とも。
2003年現在、三島の予言は的中している。
今時、ハラキリなどと言い出す人には
なるべく近づきたくない、というのが
多くの人の実感ではないでしょうか。

だが長い時間をかけてつくられてきた民族性は
そう簡単に消せるものではない。
時に意外な、時に危険な形で
それは顔を出す。日本酒を舐めながら、BGMでド演歌が流れ出し
情や情けをを持ち出されたら、僕はきっと
そのまま突っ込んでいってしまいたくなるだろう。

僕はそれを非常に警戒しているのだ、と今分かった。

純粋なる日本精神を呼び覚ます、魔法の水。それが日本酒だ。

その民族の持つ特性は、食物に顕著に現れる。だから
外国へ行ったら、出されたものはゴキブリでも食べろ。
と、ある人類学者は言った。
日本の民族性は米、納豆、日本酒に現れるのだろうか。
そう考えるとやはり日本人は農耕民族なのかな、とも。
現在進められている社会の市場化、グローバル化と
いうのは、要するにアングロサクソン化のことだと僕は
考えているのですが
要は、農耕民をやめて狩猟民になれ、という要請が
社会にあふれているような気がします。

そういった中で納豆を食べて日本酒でキマって
めぐる季節に対応しているだけでは生き残れなく
なってきたのかな、とも。

ボジョレヌーボー解禁! などと
聞くと、女の子でも誘ってみんなで素敵な時間を
持とうかな、という気分になりますが
日本酒はそうはいかない。何か真剣な話になりそうだ。

ハラキリとか,桜の散る姿に感動を覚えてしまう
自分の中のどうしようもない純粋なる日本精神を
呼び覚ます日本酒。
これからの時代に対応しようと努力している自分が
壊されそうで、僕は日本酒が怖い。