2003年5月1日木曜日

駄洒落考 2003.5.X 初出

というわけで
ギャグ、コント、コメディー、ユーモア、駄洒落……
いったい人間にとって笑いとはなんだろう、と
思った僕は、早速手元の三省堂大辞林を引いてみた。

ギャグ……映画や演劇などで、観客を笑わせる
ために筋と関係なく挿入される即興的な
台詞や動作

コント……短編小説。特に風刺やひねりの利いた
軽妙な短い物語。風刺に富んだ軽妙な寸劇。

コメディー……映画で緊張した場面に滑稽な場面を
挿入して緊張をときほぐすこと。
またその役を演ずる人。

ユーモア……思わず微笑させるような、上品で
機知に富んだしゃれ。

駄洒落……下手な洒落。つまらない洒落。

テレビのバラエティー番組では、結婚式や葬式のシーンがよくコントの場面に選ばれます。それは上記コントとコメディーの効果を狙ったものであろうと考えられます。
つまり、視聴者も共有できるであろう緊張した場面を設定し、そこで出演者に滑稽なことをやらせて笑いをとる。
コントやコメディーは、社会的禁忌、こういった場所シーンでは普通こういうことをしてはいけない、という暗黙のルールの共有があって、初めて面白みを発生させる事ができるように思います。
最近ではそういった社会的禁忌や従来の日本社会の常識暗黙のルールが崩れてきていて、マスメディアが一般大衆に向けて笑いをとろうとすると、どうも嘘くさく、何がおかしいの、となってしまう事が多いし、場合によっては笑われている対象がかわいそうだな、とさえ思う事があります。
1940年体制の崩壊、一億総中流社会終焉の影響はここにも見られ、普通の日本人像、が
なくなってしまったためみんなが笑えるコントやコメディーを成立させることが
非常に難しくなってきているように思います。
一人一人、個人個人で考え方や趣味、ものの感じ方が
異なる社会では、みんなが同じ対象を笑うという事が
中々できません。

でも僕はそれはおそらく進歩だと思います。
みんなが同じ対象を笑うのは楽しいかもしれませんが
笑われる対象はきっと自尊心を傷付けられていたことだと
思います。

若い人は分からないかもしれませんが
最近DVDでリバイバル発売された
オレたちひょうきん族、という番組では
みんなが笑っていたような気がします。
僕が子供の頃は、ひょうきん族を観ていないと
友達との会話に入れないほどでした。
お化け番組という言い方もありました。
日本人のほとんどが観ているロングラン番組の事です。
そういった甘い感傷に包まれた古き良き時代は
もう帰ってこないような気がします。 

ヨーロッパの政治家達のユーモア
は洗練されている、とよく言われますが
それはヨーロッパの戦争の歴史の中で
洗練されていった哀しいもののように思います。
常に一触即発、一歩間違えば戦争になるという
ぎりぎりの緊張状態の中で
気の利いた一言を言ってかわす、という術が
磨かれていったのでしょう。

小渕首相がかつて、ある国際会議で
オプチミストの小渕です、と言って失笑を買ったそうですが、それは国内的には
あたたかい駄洒落であっても残念ながらユーモアとしては国際社会で
認められなかったのでしょう。

僕は日本社会から駄洒落がなくなっていく
ような気がします。
唯一成功した社会主義国と揶揄された
あたたかい一億総中流社会が終わり
個人個人で考え方、感じ方が異なり
常にコミュニケーションに気をつけなければ
ならない、という社会が訪れると
きっと駄洒落は通用しなくなっていくでしょう。

僕もこれからは駄洒落を言う事をやめようと思います。

これがホントの……