2003年7月1日火曜日

どうして人を殺してはいけないの? 2003.7.X 初出

どうして人を殺していけないの?
と子供に聞かれて大人がそれに上手く答える
事ができなくて困ってしまう、という
構図が出てきました。

間違った引用だったら
申し訳ないのですが(文責は僕にあります)
大江健三郎さんは
そういった問いが出ること自体が
間違いだ
村上龍さんは
人を殺していいという事になったら
自分が殺されても文句は言えないという
事になる、だから駄目だ
と発言されていたように思います。
駄目だから駄目だ、という人もいるし
生命は尊いから駄目だ、という人もいます。

どうして人を殺してはいけないのだろう。

僕自身は債権の取立てをしていた人
つまり借金取りをしていた事がある人に
会って話をした事があるのですが
その人は一度追い込みすぎて
一家心中をさせてしまった事が
あると言っていました。
その人は直接刃物で人を刺したりしていなくても
間接的に人を殺したと言えるのかも
しれません。
その人は何年か経った今も
寝つきが悪い、と言っていました。
そして何とも言えない暗さがありました。
よく漫画などで青ざめた表情を描く時
額に縦線を引いたりしますが
そんな感じです。
笑っている時も青ざめているのです。
だから人は殺さない方がいいよ、と
言えるかもしれません。

どうして人を殺してはいけないの? 

何故そういった問いが子供達から発せられる
ようになったのか。
それは日本社会が完全に近代化を終えた事とも
関係しているような気がします。
ゲセルシャフトとゲマインシャフトの
エッセイでも書きましたが
近代化は、暖かい共同社会(ゲマインシャフト)を
法律や契約などのクールな社会(ゲセルシャフト)に
置き換えていきます。
つまりその民族なり地域社会なりが何気に持っていた
倫理観、暗黙のルール、をどんどん法律や契約に
置き換えていきます。
その流れが行き着くところまで行き着いてしまって
どうして人を殺していけないの? と聞かれて
法律で決められているからだ
或いは、警察に捕まるからだ、としか答えられなく
なってしまったのかもしれません。

僕は法律学はあまり詳しくないのですが
法学の世界では、実定法と自然法という
区別があるそうです。
実定法は実際に定められている法で
自然法は人間社会であれば永久不変に
どの時代でもどんな場所でも適用される法との事。
つまり、実定法<自然法、という関係になります。
どうして人を殺してはいけないの? と
いう問いが出てきたと言うことは
もしかしたら自然法の部分が壊れてしまって
何から何まで実定法で縛らばければならなく
なってしまったという事かもしれません。

1969年に開催された平和と音楽の祭典
ウッドストックという伝説のロックフェスティバルが
あります。
その時は30万人、40万人と言われる人々が
平和裏にキャンプ生活を送ったのに
30年後のウッドストック99では、放火や喧嘩、強盗と
最悪の混乱に見舞われたそうです。
自然法が壊れてきているのは世界的な
現象なのかもしれません。
でもそれはとても寂しい事です。
あらゆる場所に警察官や警備員をおかなければ
ならない程人々は堕落してしまったのでしょうか。

どうして人を殺してはいけないの?
僕は今、その問いに対する答えを
考えています。


関連、

秘密結社の合言葉 ゲセルシャフトとゲマインシャフトⅠ~Ⅴ
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