2003年7月1日火曜日

卵党総裁演説 其の二 構造改革は何故必要になったのか 2003.7.X 初出

というわけでありまして
そもそも何で構造改革という事になったのかという事を
考えてみますと、内外の政治・経済状況の激変もあるのでしょうが、
一番の理由は政府が実はとんでもない額の借金をしていてニッチもサッチも
いかなくなってしまった、というところにあるのではないでしょうか。
そういった兆候はだいぶ前から出ていたのに
何で誰も手を打たなかったのだろう、と思うと
僕は不思議な気がします。

80年代のバブル経済の繁栄の記憶が
日本人の感性をにぶらせてしまったのだろうか、とも思います。
失敗は成功のもと、とはよく言われますが
成功もまた失敗のもとである、という一面の真理を思い知らされます。

僕が学生の頃(95~99年)に既に
赤字国債を発行し過ぎているが
景気回復のために今年も赤字国債を発行する、といった
記事がよく新聞に出ていました。
僕はその赤字なんとかという国の借金は
誰がいつどうやって返すのだろう、と
不思議に思っていたのですが
当時は大学の先生もほとんどが
日本はアジアの盟主なんだ、的ノリの人が多かったので
僕もアジアの盟主ならまあなんとかなるんだろう、と
思って思考停止してしまい、遊びふけっていたのを覚えています。
でもこうして五年、六年経ってみたら本当に
ニッチもサッチもいかない状況になってしまっていた。

一応母校の名誉のために記しておきますと
僕が通っていた仙台市内の某四大にも
5人に1人か或いは10人に1人くらいは優秀な教員が
いて(どこの大学でもそんなものだと思います)そういった優秀な方々は
98年以前から既に、日本はファシズム前夜だ、とか、保険会社がつぶれる時代が
くる、と発言していました。
当時の僕は今以上に世間知らずで、リスクの計算を
商売にしている保険会社が潰れるわけがないじゃないか
この人達は何を言ってるんだろう、これだから
大学の象牙の塔に閉じこもっている先生達は、専門バカと呼ばれるんだ、と
思ったものです。
でもどうやらバカは僕の方だったようです。
そういった優秀な先生がたまにいるので、大学というのは存在意義があるのだな、と
思ったりします。

閑話休題。
でも総じて僕は、痛みを伴う構造改革にまでこの国が
追い込まれてしまった経緯を見ていて
政治家や大学の先生ばかりにまかせておいたら
いつかこっちがエライ目にあってしまうな、と痛感して
いるのであります。


卵党総裁演説 其の三へ続く
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