2003年7月1日火曜日

ベクトル 2003.7.X 初出

というわけで先日僕は知り合いの画家さんと
いったいこれからの世界はどうなっていくのだ
ろうと話をしていたのですが
例によっていつの間にやら取っ組み合いの激論に
至ってしまい、双方相譲らぬ激闘の末に
これからの世界のベクトルは重厚長大から軽薄短小に
向かっていくんだな、という点でなんとか合意し
二人で肩を組んで沈む夕陽を指差したのであります。

重厚長大から軽薄短小へ

双方相譲らぬ激闘の末に獲得したこのコピーは
中々時代を捉えたコピーだな、と思います。
広告会社へ売ったら結構な金になるかも? などとも
思ってしまいます。

重厚長大から軽薄短小へ

でも現時点ではこんなコピーがついた商品が
あっても誰も買わないかもしれない、とも。
軽薄短小というとどうしてもネガティブな
ニュアンスがあるし、あの人は軽薄短小な人だね
というのはどことなく馬鹿にしたニュアンスが
あります。重厚長大な人だ、という方が
褒めている気がする。
でもそれは、異邦人と文化催眠、のエッセイでも
書いたように、もしかしたら重厚長大なものの方が
軽薄短小なものより優れている、という
文化催眠にかかっているのかもしれない、と僕は思いました。

まず産業について考えてみると
かつての花形産業だった造船、鉄鋼といった
重厚長大型産業は頭打ち、若しくは衰退へ向かい始め
これからはIT技術、ナノテクノロジーなどの
軽薄短小型の産業が花形になると言われています。
そして造船・鉄鋼のような重厚長大型産業は
発展する程大きくなりますが
IT技術やナノテクノロジーのような
軽薄短小型の産業は逆に発展する程
小さくなっていく。
基幹産業は少なくとも重厚長大から軽薄短小へ
向かっていると言えます。

企業はどうか、と考えてみると
かつては会社は大きければ大きいほど
つまり重厚長大な企業ほどよしとされ
中小企業、零細企業というと、なんとなく吹けば飛ぶ
ような軽薄短小なイメージがありました。
でも最近では大きければ潰れないという神話は
崩壊し始めていますし、世界有数のメガバンクの行員の
ボーナスがゼロだったりします。
何より余りにも重厚長大な企業には、この変化の早い時代にあって
大き過ぎて小回りが効かない、という難点があります。
アメリカでは従業員数19人以下の零細企業群が
全輸出高の50パーセントを占めるように
なってきている、というショッキングなデータもあります。
僕も、大きいことは良いことだ、と教育されてきた
世代なのでちょっと信じられませんが
企業も重厚長大から軽薄短小へ向かっている、と
言えるのかもしれません。

じゃあ文化の面ではどうだろう、と
考えてみると
かつては文学やクラシック音楽といった
重厚長大な文化がメインカルチャーだったのに
現在ではアニメやポップミュージックという
軽薄短小な文化がメインカルチャーに
なっています(誤解されると困りますが、それは
アニメやポップミュージックが下らないという
意味での軽薄短小ではありませんのであしからず)
文学やクラシック音楽といった重厚長大型の
文化は、発展する程重々しくなっていきますが
アニメやポップミュージックの軽薄短小型の文化は
発展する程軽々しく、つまりポップになっていきます。

もしかしたら宇宙がインフレーション期から
デフレーション期にでも入ったかのように
98~2002年を境にして、あらゆる分野の
ベクトルが重厚長大から軽薄短小へ
向かい始めたのかもしれないね、という事で
僕はなんとか知り合いの画家さんと合意し
二人で肩を組んで沈む夕陽を指差したのであります。

重厚長大から軽薄短小へというコピーで
くくりきれない分野でも
ベクトルの方向が逆になった
分野は非常に多いような気がします。

詰め込み教育からゆとり教育へ
年功序列からエイジレスへ
ジェネラリストからスペシャリストへ
農耕民型社会から狩猟民型社会へ
集団主義から個人主義へ
大きな政府から小さな政府へ
東京一極集中から地方分権へ
官尊民卑から民尊官卑へ
企業による顧客の囲い込みから
顧客による企業の選別へ……etc.
もしかしたら、今まで親や教師や偉い人達に
教えられてきた事、見てきた事や聞いた事
今まで覚えたこと全部の逆をやれば
成功できる時代なのかな、などと
僕は知り合いの画家さんと肩を組んで
沈む夕陽を指差しながら思ったのであります。


-ベクトル-