2003年6月1日日曜日

異邦人と文化催眠 全ては太陽のもと何度も繰り返されてきた 2003.6.X 初出

アルベルト・カミュの、異邦人、という
小説があります。
主人公はムルソーという男性なのですが
これがまったく常識の通用しない人間で
実の母親が死んだ翌日に喪に服すこともなく
海水浴に出かけてみたり
出かけた先では女の子とセックスに
励んでみたり……さらには映画を
観ては笑い転げたり、と
常識人からみたら完全な異邦人なわけです。
ついには友人の女出入りに関係して人を
殺害してしまいます。
そして裁判にかけられて殺害した理由を
尋ねられては、太陽のせい、と答える。

父親の葬儀で父の位牌に焼香を投げつけた、という
織田信長のエピソードと似ています。
そういう意味では信長も、異邦人、だったのでしょう。

仙台高等裁判所~のエッセイでも引用した
心臓を貫かれて/マイケル・ギルモア著に
おいても、実在した殺人犯ゲイリー・ギルモアは
死刑にするぞ、という脅しに対して
早く死刑にしてくれよ、と語っています。
これもある種、異邦人、です。

そういった異邦人性をを内部に抱えた人間というのは
きっと現在の地球上にもかなりの数いるはずです。
そういった異邦人達はきっと悪びれずに人を
殺したりして、それを社会の側から非難されても
平気でいられるのかもしれません。
時計仕掛けのオレンジやナチュラルボーンキラーズと
いう映画もそんな感じだったような気がします。

小説に映画にと引用が増えてしまいましたが
要は、死刑に処すぞ、と脅しても
早く死刑にしてくれよ、と答える異邦人達が
この地球には存在するという事です。
異邦人。
考えてみたら殺されたがっている人に、殺すぞ、と
いうのは脅しになっていないし
殴られるのが好きな人? には
ぶん殴るぞ、という脅しも無効なわけです。
軽蔑されたがっている人を
侮辱したら、きっと本人は喜んでしまうだろうし
不幸になりたがっている人に
そんな事を続けていると不幸になるぞ、と忠告したら
本人は、そんな事、を続けるでしょう。

そういった異邦人達は確かに存在しているのに
近代社会というものは、そういった異邦人達の存在を
無視する事で成立しているように思います。
全ての人は豊かな老後を送りたいはずだ、という
前提の上に年金制度その他が整備されているし
全ての人は自由を拘束されるのが嫌だろう、という
前提の上に刑法や懲役制度がある。
そういった、全ての人は~だろう、という部分
つまり社会の圧倒的多数派が共有する価値観の事を
文化催眠、と呼ぶらしいのです。文化催眠。
それでこのエッセイのタイトルが
異邦人と文化催眠、となっているわけです。

文化催眠という言葉は
知り合いの画家さんに最初に聞いたのですが
僕はそれを聞いた時ハッとしてスッキリしたのを
覚えています。
       
以前、仙台市博物館でインカ帝国展が開催され
確かその時は、哀しみの美少女フワニータ、と
題されていたように思います。
単純な僕は、少女がイケニエとして殺されるなんて
可哀想だな、インカ帝国はなんてひどい文明なんだろう、と思ってプンプンして帰ってきたのを
覚えています。
でも知り合いの画家さんに、文化催眠、という言葉を
聞いた時僕はハッとして
インカ帝国に対してプンプンしてしまったのは
僕が近代社会の文化催眠にかかった目で
インカ帝国展を見ていたからではないか、と
思ったのです。

それでその後古代宗教について調べてみたら
やっぱりその通りで、僕のインカ帝国に対する
怒りは筋違いのものだったのです。
古代社会では、神のためのイケニエとして
殺される事は結構名誉な事だったらしいのです。
となるとフワニータ少女は、実は哀しくとも
なんともなくて、意外と神のためのイケニエとして
選ばれた自分を誇らしく思いながら死んだのかも
しれません。
現代風に言えば、神のイケニエとして選ばれちゃったわ私、みんな見て見て、
ウフッ……フワニータ素敵……のような感じだったのかな、と僕は想像しました。
ついでに戦前の神風特攻隊の中には
陛下のために死ねることを誇らしく思いながら
突っ込んでいった兵士もいたのかな……などとも。
それは英霊の問題も絡んでくるのであまり深入り
したくありませんが……文化催眠の一つの例です。

現代は一応ヒューマニズムという人道主義的なものを
前提として全ての物事を語ったり見ているような気がします。
ヒューマニズムというフィルターが
現代の文化催眠にあたるのでしょう。
文化催眠は絶対的な真実ではないのに
みんな真実だと思い込んでいる。
そして現代に生きる限り、僕もその例外では
なく、ヒューマニズムという文化催眠に
かかっているような気がします。
それで少女をイケニエにするインカ帝国展を見て
プンプンしてしまった。

ヒューマニズムの漫画家として知られる手塚治さんが
ヒューマニストとして捉えられる事に対して
怒っただか泣いたというエピソードを聞いた事が
あります。
ヒューマニズムは現代の文化催眠に過ぎない、とは
分かっていても、それを訴えなければ人類はダメになる、と自覚していたから
単純なヒューマニストとして見られる事が不快だったのかもしれません。
あくまで僕の推測ですが……。

ピュアな絵本を描いている人が実は詐欺師だったり
ヒューマニズムを訴える漫画を描いている人が
実は人間に絶望していたり、と芸術は深いです。
逆に悪魔的な小説を書いている人が
意外とジェントルマンだったり……とか。


異邦人と文化催眠。
無理やりまとめに入りますが
アルベルト・カミュの小説、異邦人、の主人公ムルソーは
実の母親が死んだ翌日に喪に服すこともなく海水浴に出かけてみたり
出かけた先では女の子とセックスに
励んでみたり……さらには映画を
観ては笑い転げたり、と、異邦人、な行動を繰り返したあげく、
ついには友人の女出入りに関係して人を殺害し、裁判で殺害した理由を
尋ねられては、太陽のせい、と答える。

そう、太陽、太陽なのではないか、と最近僕は
思います。
その時代その時代で様々な文化催眠が形成され
その文化催眠にかからない人間は異邦人と呼ばれて
呆れられたりしますが
常識人の営みも異邦人の営みも
全ての事象が太陽のもとで何度も繰り返されてきただけ
なのではないか、と。
絶対的な真理などどこにもなく、ただ太陽がそこにある。
それがニーチェの言いたかった、永劫回帰、ではないのかと。
違うかな……。


-異邦人と文化催眠 すべては太陽のもと何度も繰り返されてきた(完)-


関連、仙台高等裁判所、其の一~八
http://digifactory-neo.blogspot.jp/2012/09/20036_1256.html


異邦人 (新潮文庫)

心臓を貫かれて〈上〉 (文春文庫)

心臓を貫かれて〈下〉 (文春文庫)