2003年6月1日日曜日

べんちゃあ・すぴりっと 2003.6.X 初出

二十代は十回失敗しろ!

なんですと!? 
と、僕は驚いた。
二十代に十回成功するのではなく
二十代に十回失敗しろ、とは何たる事だ。
二十代で四回失業し、三回倒産を経験し
二度自殺未遂を起こして、一度自己破産して
合わせて十回失敗しろとでも言うのか。
それに二十代で十回失敗するという事は
一年に一回失敗するということではないか!
なんたることだ。
さすがに企業経営者は学校の先生とは
言うことが違う、と僕は思った。

僕は仙台駅東口の新寺の某飲み屋、その名も
新寺、に来ていた。
そこで企業経営者のS氏と
知り合いになったのだが、二十代は十回失敗しろ
といきなり説教を食らったのだ。
気の弱い僕は反論する事もできずに、ただ
S氏の説教に頷いていた。

現代において、失敗とはなんだろう。
98年以前の日本では、失業、と言えば
サラリーマンにとって屈辱的な概念で
ちょっと他人には言えないことだった。
クビ、と言う言葉もあった。
まるで仕事を失くしただけで全人格を否定
するかのような言葉だ。
職を転々としている人は危ない人で
一箇所に長く勤めないと、履歴書が汚れる、という
表現もあった。
だが最近では企業の寿命が三十年であると
言われ始め、企業よりそこに働く人の方が
どうしても長生きするという事が明らかになり
さらに契約社員4割の社会がすぐそこ、などと
囁かれ始めるご時世になると
失業は一生に二度や三度は起こる通過儀礼であり
少なくとも他人に言えないような事では
なくなってきたような気がする。

また、かつて倒産と言えば経営者にとっては
死刑宣告に等しいもので
財産、信用、名誉をすべて失い、銀行からも
相手にされなくなる、という悲惨なものだった。
僕が子供の頃は、事業で失敗すると家族ぐるみで
夜逃げしなければならなかった。

つまりほんの少し前までは
日本はリスク回避型、というか、失敗の許されない社会
だったのだ。社会が敷いたレール、という言葉もあった。
親や教師の言うことをよく聞いて、社会の敷いたレールに
乗っていれば一生安泰。
そんな教育を受けて育ってきた子供たちに
ベンチャースピリットなんか育つわけが
ないのだが、政府は今になって、若者よベンチャー企業を起こせ、と叫ぶ。

二十代は十回失敗しろ!!
新寺で知り合った企業経営者のS氏は確かにそう言った。
血のションベンを流せ、とも。
血のションベン……
血のションベン……
血のションベン……流すのか!?
血のションベンを流しながら二十代で十回失敗
すれば、S氏のような企業経営者になれるのだろうか。
そこまでしてなりたくないような気もするが
ベンチャーを起こすというのは、そういうリスキーな
ものなのだろう。
そしてそういう人が尊敬される社会になっていかなくてはいけないのだろう、とも思った。
そして敗者復活が許されるような社会に。

とにかく安全第一で失敗もしないが成功もしない。
仕事も遊びもそつなくこなし、GWは
ユニバーサルスタジオジャパンに行きます、みたいな
人が、リスクを負って努力している人を馬鹿にするような時代は終わらなくてはいけないのだろう。

血のションベンを流しながら
二十代に十回失敗する……べんちゃあ・すぴりっと