2003年6月1日日曜日

ア・ルース・ボーイ 2003.6.X 初出

ア・ルース・フィッシュ 
だらしのないやつ

仙台一高出身の作家、佐伯一麦さんの
三島賞受賞作「ア・ルース・ボーイ」の
冒頭にそんなセリフが出てきます。
要は進学校で受験勉強に真剣に取り組まない
主人公に対して、教師が
お前はだらしのない奴だ、と
烙印を押しているのです。
進学か就職かと悩んでいる高校生には
ぜひ読んでいただきたい一冊です。

佐伯さん、いえ僕からみたら佐伯先生、には
一度お会いした事があるのですが
気の弱い僕は極度の緊張のあまり
上手くコミュニケーションが取れなかった事を
覚えています。
凄い迫力のある方です。写真とは全然違います。

いい大学、いい企業、出世コースという
98年以前の常識は過去のものになってしまい
ましたが、振り返ってみて、受験戦争とは
いったい何だったのだろう、と最近よく思います。
昔は志望校に落ちて自殺するような人も
いたようですし、僕が子供の頃は
息子が二人とも東大に入った、と言って
自慢しているおじさんもいました。

気の弱い僕は、中学高校ともテストの度に
上手く実力を発揮する事ができず
偏差値はいつも25くらいでした。
偏差値教育が始まる以前に学校を
卒業された方のために記しておきますと
大体偏差値75というと早稲田、慶応クラス
偏差値25というのは、今年の受験は諦めた方が
いい、というレベルです。或いはもっと下かもしれません。
偏差値25近辺をウロウロしていた僕は
担任の教師に、お前は進学できない、と
言われてカチンときたことを覚えています。
カチンときた僕は
猛勉強して仙台市内の某四大に潜り込んだのですが
何で僕はカチンと来たのか、と思い出して
みると、進学できない、という事
つまり偏差値が低いというだけで
全人格を否定されたような気がして
カチン、と来たのだと思います。

人間誰でもいろいろな能力があって
絵が上手いとか
体力があるとか
話が上手いとか
友達が多いとか
いろいろな価値判断基準があるのに
当時のある程度の進学校では
偏差値が高いかどうかで
全て判断されていたように思います。
教師達は、今年は早稲田に何人入った、とか
一橋に何人入った、とか、そんな話ばかり
していました。
今となっては考えられませんが
受験に関係のない美術や音楽は
やらなくていい、とも言われていました。
ギターなんか弾いていると不良と呼ばれました。
そういった風潮の中で、偏差値に騙されて
能力を発揮できなくなっていった人は
恐ろしくたくさんいると思います。
それは大げさに言えば日本の損失です。
いや、国際社会における日本の役割を
考えれば世界の損失です。

僕も偏差値が高い人が能力が高い、という
暗示にしばらくかかっていて
僕の能力はどうせ偏差値25くらいだ、と
思って小さくなっていた時期がありました。
社会の側にも、偏差値が高い方ができる奴だ、という
常識が溢れていたので、偏差値が高い人は
自信を持って胸を張っていました。
社会に出てみると実感しますが
自分に自信を持つというのは結構大切な事で
イジイジクヨクヨしている人間より
ハッタリでも胸を張っている人間に
仕事を頼みたくなるものです。
そういったわけで、かつての日本社会では
高校時代の偏差値が一生尾を引く、という
ものでした。入り口社会。
大学でも会社でも入るまでが勝負。
入ってしまえば後は、俺は~大卒だ
俺は~会社の社員だ、おお凄い、と
なっていたように思います。

そういう社会が終わってしまって
所属している会社や出身大学でなく
単に個人として何ができるか
大学で何を学んだか
前の会社ではどういった業務に
携わっていたか、が問われるように
なってしまい
~会社の社員だ、~大卒だ
という形で自分のアイデンティティーを
確立していた人達が
精神の危機を迎えているように思います。
僕はなんで偏差値が低いというだけで
自分を卑下していたのだろう、と不思議な
感じに捉われています。

そういった構図が見えるようになってきてから
京大法学部卒とか
明治大卒とか
第一勧銀にいたとか
NTTにいた、とかいう人達に
会ってみましたが
当たり前の話ですが、みんな個人個人で
違っていて、できる人はできるし
できない人はできない。
話してみると結構普通の人だ
という事も分かってきました。

いったい受験戦争とは何だったのだろう。
最近では進学校でも
東大や早稲田に入れるような偏差値を
取れる高校生が、海外留学を検討しているそうです。
そして学年から何人かは、実際留学してしまうらしいとの事。
中田英寿効果だろうか、と僕は思いました。
彼は東大に入れるくらい偏差値が高かった
という話を聞いた事があります。
でも少なくとも海外に留学すれば
外国での生活経験と、使える語学力は残るように思います。
偏差値順に教師に振り分けられて
無目的に国内の大学に入っても
~大卒です、という今では通用しなくなった
肩書きが残るだけで、あまりいい事は
ないような気がします。
受験で燃え尽きて五月病になる学生も
多いらしいですし。
それに少子化で、もうすぐ大学全入時代が来る
とも言われています。
いったい受験戦争とはなんだったのだろう。
海外に出てイタリア人に向かって、偏差値68です、と言っても
何の意味もないような気もする。

で、佐伯一麦先生の「ア・ルース・ボーイ」に
戻るのですが、受験戦争からドロップアウトし
様々な社会経験を積んだ主人公は
電気工として自立します。
そして大学へと進む同級生達の
卒業式を、体育館の照明を修理しながら見下ろし
一言呟きます。
何と呟くかは、著書を読んでのお楽しみ、と
言う事になるわけですが
受験戦争が終わってしまった現在読んでも
得るものがあります。
三島由紀夫賞を受賞したのも頷けます。


-ア・ルース・ボーイ(完)-





ア・ルース・ボーイ (新潮文庫)