2003年6月1日日曜日

巨人の星と精神のダンディズム考 2003.6.X 初出

思い込んだら試練の道を
行くが男のド根性
真っ赤に燃える王者のしるし
巨人の星をつかむまで
血の汗流せ、涙を拭くな……

と、ずっと昔、巨人の星という
アニメがありました。
テーマソングの歌詞は
上記のようなものだったと思います。

血の汗とかド根性とか
涙とか試練というキーワードが
上手く散りばめられていて
敗戦の屈辱から
欧米に追いつき追い越せと
頑張っていた日本人の情念に
強く訴えるものがあったのだと
思います。

タイヤを腰に巻いてグランドを走り
うさぎ跳びをして膝を痛めたりしながら
甲子園を目指し
ついに出場した甲子園では
エースが猛暑の中、連投に耐えながら
肩を痛め……最後は、試合に負けた球児達が
涙を流す。
そんな青年達の姿を見ると
もう涙腺が緩んでしまう、という
年配の方は多いようです
最近はそういう高校球児を見なくなりましたが。

日本社会が敗戦から奇跡の復興を果たし
近代化も終えてしまった現在。
今度はグローバル化
市場化、IT革命と
超近代化とでも呼べそうな変革に
さらされています。

超近代化、ポストモダン、ポストポストモダン
ポストポストポストモダン
ポストポストポストポストモダン……と
社会が激変していく中で
努力している人が偉い
苦労している人が偉い
というかつての高度成長期の文脈では
対応できなくなってきているような気がします。
努力や根性、血と汗と涙だけでは
どうにもならない事が増えてきました。

人材派遣会社に仕事の登録にいくと
ワード、エクセル、アクセスなど
パソコンスキルのチェックがあります。
十分で何文字打てるか、とか
五分で何項目入力できるか、という
テストがあって、それで登録は終わりです。
はっきり言って
誠心誠意頑張ります、とか
熱意とか忠誠心とかは
何の意味もありません。
逆にそんな気持ちを持たれたら困る、と
いうのが実情のようです。

おそらくこれからの超近代化社会では
努力や根性、だけではなくて
どうすれば最少の努力で
最大の結果を得られるか考える、と
いうプロセスが
重要になってくるはずです。
そしてその上で努力する。
そういったクール? な人間は
かつての高度成長期の日本社会では嫌われていました。

でもよく考えてみれば
生きている限り、
誰でも多少の努力はしているし
苦労もしているはずで
それを他者に見せて
浪花節的に応援してもらう、というのも
どこか厭らしいような気がします。

血と汗と涙も嫌になるくらい
流してはいるが、他者の前では涼しい顔をしている、と
いうのが、これからの時代の礼儀になって
いくような気がするのですが
どうなのでしょう。

巨人の星と、精神のダンディズム。